ミラノ、パリ、東京。私達のゆかりの場所を言うとこうなる。そもそもは、私がミラノに出張に行った際に、人の紹介で知り合った。そのままずうっとつきあいが続いている。彼女との間をつないでくれたその人とはもう、ずっと疎遠だというのに。
昨年からパリで働いているその友人が帰ってきた。会うのはとても久しぶりだけど、その間がなかったかのように話が弾む。気が合うって、きっと、こういうこと。ディテールなんてどうでもいいんだろうな。
学生時代に仏文科だった私は、初めて行った外国の街がパリで、それから何度も出かけているので、勝手にパリを第2の心の故郷と定めている。今、彼女がその街に住んでいるというのが不思議な気持ちになる。
ふと思いついて、「私、年末からラジオブログっていうのをやってて。そのブログで話してくれる?」というと快諾してくれた。
海外で仕事をするということ、そして昨年末にパリで起きたテロ事件について。カウンターで、フランスのワインを傾けながら、質問をしてみた。その時の答えが意外だったのだ。
そうか。長く知っていても、彼女の本質のひとつである「ミラノ、そしてパリで働いていること」について聞いたことはなかった。「テロ後のパリについて感じたこと」も、音声に録ろうと思わなければ、ここまで突っ込んで話をしてくれることもなかっただろうと思う。
そこで聞いた話は、彼女というたったひとりの人が感じた「海外ではたらく」こと、そして「その後のパリ」の話で、それが普遍的に正しいメソッドだったりフランスの人を代表した意見では決して、ない。もちろんわかっている。
けれど、それを伝えることに意味がないなんて思わなかった。そう、こういう、ひとりひとりの感じ方と考え方があって、そのひとつひとつが集まったのが世界という場所。だから、ひとりの考え方だって、世界のあり方のひとつの真実なんだ。
もともと知っていたはずのことを、改めて教えてもらったような気がした。
その際のラジオブログは、ここでお聞きいただけますので、ご興味のあるかたはどうぞ。