19歳。フランス語と文学を学んでいた大学生だった私は、田舎の街からフランスに旅立った。それから何度もパスポートを更新して、いろんな旅をしてきた。
旅という言葉にはカルチャーっぽくておしゃれなイメージが漂う。私もエディターとしてそういうイメージづくりの一端を長年、担ってきた。
でも、実際にそうなのだろうか。
スーツケースに荷物を詰めながら、なんて面倒なことだと思う。出発の前日になると、どうして私は旅に出ようなんてことを思ったんだろうと後悔が始まる。たいてい、早起きしなくてはならないのもつらい。
たとえば海外の場合、出国して飛行機に乗ってきゅうくつなエコノミーシートに身体を預けて眠れぬ時間を過ごし、なぜ私は長時間、こんな苦しい思いをしているんだろうと思う。
目的地に着いて、違う空気を吸って違う匂いを嗅いで、違う顔をした人たちがいて、知らない言葉が聞こえてくると急に不安になる。何の理由もないのに、入国検査官に何か咎められるのではないかと思う。
ターンテーブルからスーツケースを受け取ると、呼び止められてすべての中身を出させられたことがある。ロサンゼルスだった。君が怪しいわけじゃない。ランダムに検査するんだ。決まり事なんだよ。
空港を出て街に出る。タクシーであろうと電車であろうとバスであろうとレンタカーであろうと、この瞬間が一番ストレスを感じる。
旅の最中もハプニングの連続だ。見知らぬ街を、この方向でいいのかと思って歩きながら、なぜ、私はこんなところにひとりで来てしまったのだろうと思う。私がいま、この国のこの通りを歩いていることはおそらく、誰も知らない。もう一度思う。なぜ、私はこんなところにひとりで来てしまったのだろう。
そして時差に慣れ、水と空気に慣れ、言葉に慣れ、その国の紙幣と硬貨に慣れ、食事に慣れた頃には帰国しなければならない。
帰国したらしたで、スーツケースを開けてみればこじ開けられた跡がある。「悪く思うなよ、法律に従ってあんたの荷物を調べさせてもらったぜ」と書かれた紙が入っている。ニューヨークの果てまで出かけてワイナリーで買ってきたワインの封蝋がナイフで切られている。
たまった洗い物を洗濯機に放り込んで、ゴワゴワになった髪を慣れた軟水で洗い流す。違う食生活で肌も荒れたみたいだ。疲れた。明日は出社しなければ。仕事がたまっている。でも時差で眠れない。来月のクレジットカードの請求はいったいいくらになっているのか…。
帰ってきたら、じわりと実感が湧いてくる。飛行機の中で、現地の新聞を破いて情報をくれた人。電車の乗り方を教えてくれた人。素晴らしい景色。美味しい食事とワイン。たまたま出会って翌日の宿を一緒に選んだバックパッカー。思わず女性同士で人生談義をした夜行列車。彼女はイタリアの公務員だって言ってたな。
面倒だったことや不安だったことはすべて忘れて、素敵な記憶だけが残る。それは。宝物のようにキラキラといつまでも輝いている。
だから、私は次の旅に出たくなるのだ。
そうやって、いろんなものを見たい、体験したいというのがまず先だった。社会人になって時間が経つと、今度は、旅先では、ふだんの生活で肥大化してしまった会社名や肩書きや自己意識を捨てて、生身の自分自身で世界に向き合わなければならないことに気がついた。
その、世界にむき出しの自分のまま立っているというヒリヒリした感覚が、ともすれば流されがちな日々にあって「生きているんだ」と実感させた。
今。それからずいぶん旅慣れて、この年齢になって、遠くに来て世界に向き合って「なぜ私はここにいるのだろう?」と思ってきたことに、ようやく答えが見つかった気がしている。
遠くにいても思う人。無事でいてねと祈ってくれる人。ただいまと伝えたい人。そう、私は、そんな大切な人たちのことを改めて思い出すために、はるばる遠くまで出かけていくのだろう。そして、しばしの別れを経てまた再開したときに、世界は私にとってこうだったんだよ、そして、君が大切だってことをずっと思ってたよ、と伝えたいんだ。きっと。
ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと月に1回公開しているサウンドマガジン「Beautiful 40's」で、今月は「旅」をテーマに語り合った。
守山さんは「ソーシャル旅行」について、私は「旅は幸福感をアップさせる」ということをお伝えしている。ぜひ私たちのおしゃべりもお楽しみください。
photo : Miki Ikeda
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