EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

ジャマイカ2日目〜ピースボート乗船記

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ネグリルのビーチとRed Stripe

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年6月14日(金)、日の出05:35、日の入18:49 18°28′N 077°56′W 30℃ ジャマイカ・モンテゴベイ

昨日は通じていたグローバルWi-Fiに「Code7」というエラーが出て通じない。ネットが繋がらないわけなので、調べようもない。まあ、いいか、と思っていたところ、すべての人が通じなくなっていたようで、朝からレセプションでちょっとした騒ぎになっていたとのこと。

昨日「ドクターズ・ケーブ・ビーチ」を往復してくれたドライバーのマイケルが、今日はジャマイカ西端の「ネグリル」というビーチに連れていってくれることになっている。ネグリルはセブンマイル・ビーチと呼ばれ、有名なのだそうだ。

9:00に総勢13名で出発。Hopewell、Sandy Bay、Luceaといったジャマイカの小さな町々を抜けてハイエースが走る。どの町にも中心部があり、人々の暮らしがあることが見て取れる。1時間半後にネグリルに到着。

TREE HOUSE RESORTというホテルのビーチに連れてきてくれたようだ。入場料は5米ドル。トニーモンタナという名の男性がビーチチェア、パラソルなどを立てて面倒を見てくれることになった。

ビーチはなるほど、昨日よりより砂は白く、見渡す限りの左右に続き、海は青い。今日は私も水着で来ているのでさっそく海に入ってみた。遠浅なので沖までどんどん海の中を歩いてゆく。海水は生ぬるく、気持ちよく身体を包んでくれる。

ここでもバケツ入りのビールRed Stripe6本を購入したが、15米ドルだった。昨日は30米ドルだったのだ。しかも瓶入りで、よく冷えていて美味である。

ビーチのバーでジャマイカ産のAppleton Rumを使ったカクテルをいただきつつ4人でランチ。ジャークチキンプレートと、ジャマイカ産の木の実を使った炒め物のプレートをシェアした。料理が出てくるまでにかなり時間がかかった。

14:00、朝からトニーモンタナに予告されていたように、にわかに空がかき曇り、雨が降り出した。マイケルの車に乗り込んで、崖から海に飛び込めることで有名なRick’s Caféに行ってみるが、土砂降りでふだんは鈴なりだという観光客もいない。崖を見物しただけであきらめて、モンテゴベイに戻ることにする。

16:00頃帰着。船の周りも雨が降っている。キャビンから虹が見えた。グローバルWi-Fiに関する説明の紙が届いており、ジャマイカは予定外の寄港だったため、今回の契約外だったとのこと。しかし昨日は通じていたのだけれど…という細かいことは言いっこなしでいこう、なにしろここはジャマイカなのだから。

19:00、8階のリドデッキで反省会と称し、今回ネグリルに出かけた中で同い年の3人で集まってビールを飲んだ。同世代は話が通じやすくていい。

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この日のご一行様




タンジェの薔薇〜ピースボート乗船記

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「迷路のような」メディナの一角

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月28日(火)、日の出05:06、日の入19:31 35°47′N 005°48′E 21℃ モロッコ・タンジェ

昨夜は時計を2時間戻した。

タンジェと聞いてまったくピンときていなかった。船がジブラルタル海峡に入り港に近づくにつれ、ああ、タンジールのことだったかと思う。このアフリカ大陸への入口とされた街は、私の記憶の中では「タンジール」であった。

ジブラルタル海峡はヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を繋ぐ海上交通の要衝であり、最小幅14km、最大幅45km、水深は浅いところで345m、深いところで942m。地中海と大西洋を繋いでいる。ヨーロッパ側、スペインの突端に当たる「ヨーロッパポイント」と呼ばれる場所は実は英国領で、ほぼ同じ場所に英国のジブラルタル港とスペインのジブラルタル港がある。海峡の地中海側の両岸の岩山は「ヘラクレスの柱」と呼ばれる。

船の右舷側にヨーロッパ大陸、左舷側にアフリカ大陸を見ながらタンジェに到着した。

モロッコへは以前、カサブランカとマラケシュに旅したことがある。マラケシュのフナ広場の喧噪、スークの混沌。1日5回、鳴り響くアザーン。ひれ伏す人々。そういったイメージを抱いていたが、果たしてタンジェはそういった要素をぎゅっとコンパクトにまとめ、かつ開かれたインターナショナル・シティであった。

09:30に着岸。船からのシャトルバスは往復7ドル。グラン・ソッコと呼ばれる街の中心地に下ろされる。この街もさまざまな国に支配されてきた歴史をもつ。外から見るとメディナ(旧市街)の周囲は堅牢な要塞となっているのがわかる。歴史的遺物として、今は使われない大砲もあちこちに残されている。

グラン・ソッコから旧市街へ入る。小さくて暗い両替所でにこやかな老人に10ドル分だけモロッコディルハムを両替してもらい、プチ・ソッコと呼ばれる小さな広場、そしてグラン・モスクを眺める。この時間帯はまだ何も開いていないので、街はシンとしている。そういえば、今はラマダン月でもある。

私は写真を撮影するのを楽しみに街をめぐっているが、この午前中のきつい日差しが斜めに差し込んでくる時間帯はとても撮影しにくい。あらゆるものが濃い影になってしまうのだ。美しいグラン・モスクも濃い影の中だった。しばらくぶらぶらとメディナの中を歩き回ってみるが、お世辞にも美しい街並みとはいえない。観光客向けに開いているカフェにも入ってみる気がせず、もはや船に戻ろうかという気すらしてきたが、メディナの外に沿ってカスバという地区まで登っていくことにする。

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カスバの上り坂

結果、これが大正解だった。坂の途中で土産物屋は途切れ、一般の人が買い物をする小さな商店、そして手芸店。学校が終わったとおぼしき小学生くらいの年齢の女子たちがキャッキャと騒いでいる。小さなホテルがある。もうすぐ開店しようとしているレストランがある。この道を登り切ったらカスバ・ミュージアムに行ってみるつもりだったが、ふと目の端に入った看板があった。

「LAS CHICAS CONSEPT STORE」。なにやらいい予感がする。OUVERTと書いてあるのを見て、そういえばモロッコはフランス語を使う地域でもあったと思い出す。ドアを開けると、Bonjour! といわれた。

このLAS CHICASはいわゆるセレクトショップであった。ギャラリーも併設している。地域やモロッコのクリエイターの作品やデザイナーの商品を集めて売っているようだ。色鮮やかでファッショナブルなブルカも多く置いてある。おしゃれなイスラム女性が着るのだろうと想像がふくらむ。雑貨中心の1階を眺めたあと洋服中心の2階に上ってみる。

ここでいくつかの服を見つけて試着して吟味した結果、モロッコデザイナーの刺しゅうのTシャツと、大判のストールを買うことに。まさかタンジェで服飾品を買うとは思わなかった。合計約1万2000円程度だった。

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LAS CHICAS

接客してくれた女性のすすめで、カスバにあるレストラン「El Morocco Club」で昼食を取ることにするが、行ってみるとまだ開いていないという。そこで、カスバの住宅街を歩き回ってみた。

イスラムのメディナを表現するときに「迷路のような」というのは使い古された表現だが、そうとしか言いようのない路地の街並みが広がっていた。白を基本として青、黄、紫。さまざまな、しかし柔らかな色に塗られた壁や家々が続く。夢中になってシャッターを切った。

「El Morocco Club」に行く前に、隣にあるギャラリーに立ち寄り、さらに「Salima Adbel Wahab」というセレクトショップをのぞいてみる。こちらはLAS CHICASとは少し違い、クラフト感あふれる、洋服を中心としたセレクトショップだった。真っ赤な「キモノをイメージした」という薄手の羽織り物に一目惚れしてこれも購入してしまった。約1万7000円。

El Morocco Clubではお目当てのクスクスが食べられず(金曜の夜にしか作らないという)、ミートボールのタジンをいただいた。イスラムの国なのでアルコールはない。こういう場合はコーラだ。外国人観光客向けか、スパイスは控えめながらしっかり私好みのエキゾチックな味がした。

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タジン

ところでタンジェは猫の多い街だった。地域猫としてちゃんと飼われているのか、皆、のんびりした様子だ。ただ、公園で30匹ほどの仔猫混じりの猫の集団を見かけて、彼らの何割が生き抜いていけるのだろうかという不安はよぎった。地域猫に不妊手術を施すということはなさそうな気がするから。

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タンジェの猫

外壁に沿って歩く。客引きの声も活発化してきたが、カサブランカやマラケシュで体験したほどではない。立ち止まってGoogle Mapを眺めていてもしつこく声をかけられたりしないので心地よい。

財布代わりのポーチには5ディルハム残っている。ふと思いついて、午前中に歩いたスーク(市場)の薔薇売りの店に寄ってみることにした。モロッコは薔薇の産地なのだ。おじさんに硬貨を見せて、この金額で買えるものはと尋ねてみると「薔薇1本だね」という。

では赤い薔薇を、というと、白い薔薇を引き抜いて「これは私からの気持ち」といって一緒に包んでくれた。結局、手渡された薔薇は3本あった。こういうことがあると、素直にうれしい。

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スークの薔薇店

夕焼けの中、船は出航してゆく。どんな街も夕暮れがいちばん美しいと思う。タンジェの街もきっと今頃、美しく暮れていっているだろう。船旅では基本的に、その街への滞在が日中1日だけであることが多いので、夕暮れが味わえないのが残念だ。

今頃、人々は食べる準備をしているだろうか。そういう人たちに混じって夕食をいただいてみたかった。ラマダンでは、日が沈んだ後に盛大に食べることが良いとされていると聞いた。

船は3度、汽笛を鳴らして大西洋へと向かう。

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タンジェの夕暮れ

マルタ・バレッタ〜ピースボート乗船記

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バレッタ市門

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月24日(金)、日の出05:50、日の入20:07 マルタ・バレッタ

07:00、マルタ・バレッタに入港。マルタ共和国は、南ヨーロッパの共和制国家であるが、人口は40万人と少ない。いわゆる「ミニ国家」のひとつである。面積は東京23区の半分の大きさ。公用語は英語とマルタ語。

寄港した首都のバレッタは港を見下ろすシベラスの丘の上にある城塞都市で、世界遺産。「1565年にオスマン帝国からの防衛に成功した聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)の総長ジャン・ド・ヴァレットにちなみ命名された」とある。

格子状の街区に設計されたので、バレッタ市門から始まるリパブリック通りはまっすぐにのびており、他の道も格子状だ。

今日もひとり自由行動。まずは市門から「要塞」内に入り、聖ヨハネ大聖堂に立ち寄ろうとするも、長蛇の列でいったんあきらめる。今日は我々の船と、もう一隻、客船が入っていたので団体客が多いのだ。

全体の概要をつかむために、ぐるりと一周してみた。規模は意外と小さく、すぐに把握することができる。非常に堅牢で、かつ美しい街だ。

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張り出しバルコニーのある中世時代の作りの家々

その街になじむには、カフェに入るに限る。1837年創業の老舗カフェ「Caffe Cordina」のオープンスペースに陣取る。アイスコーヒーはなかなかの苦みだったので、ミルクを入れてゆっくりと飲む。街ゆく人々をのんびりと眺めてみる。

そのうち12時になった。オールド・ベーカリー・ストリート(昔、パン屋が多かったのでこうつけられたらしい)にある目当てのビアカフェ「67 Kapitali」がオープンする時間だ。店に着いて「開いているか」と聞くと「あと20分待ってくれ」という。

おかしいな。マルタには勤勉な人が多いと聞いていたけれど。

20分後に戻ると、店はちゃんと開いていた。Google Mapに「Cozy」と書かれている雰囲気そのままの、カラフルなカフェのような空間。親しみが持てる。席に着くと、もしドラフトを飲みたいならこっちで選んで、と、なかなかのイケメンに笑顔で誘われた。ずらりとタップが並び、すべてマルタ産のビールだという。

どんな味が好みなのかと聞かれて、今日は暑いからピルスナータイプがいい、何かリコメンドしてと伝えると小さなコップにで「これはどう?」と味見させてくれた。うん、いい。ハーフパイントお願い。

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67 Kapitali

ついでにランチも取りたい。メニューからミラノ風サンドイッチを選ぶ(マルタでミラノ風を選ぶなとは言わないでほしい)。やがて、大きなパンに挟まれたサンドイッチがやってきた。これがやたらとおいしい。パンは自家製なのだそうだ。おなかに余裕があれば、もっと他の料理も食べてみたかった。

ハーフパイントを飲みきってしまったので、別のビールをあとハーフパイント、とお願いする。至福である。2杯目のビールを飲みながらiPhoneでFacebookを見ていると、ほぼ同時に2人の友人から日本海軍の兵士たちの墓碑について連絡があった。

そうだ、思い出した。昨年、通っていた大学院の「国際政治経済システム論」を受講していた際に、課題図書として読んだ『マルタの碑』という事実をもとにした小説があった。第一次世界大戦中、日英同盟のため遠く地中海までイギリス軍を援護しにやってきて「地中海の守り神」ともたたえられた末、マルタで戦没した日本海軍の兵士たちがいる。その慰霊碑がここマルタにあるのだ。

午後に考えていた大聖堂見学などの予定を変更して、カルカーラという町にあるその慰霊碑に参拝しに行ってみることにする。ターミナルからカルカーラ行きのバスに乗り込む。片道1.5ユーロ。約30分でNavaliというバス停に着いたら、墓地は目の前だった。

ここ英連邦海軍基地には英国、ドイツ、イタリア、フランス、そして日本の戦死者の墓がある。1917年6月11日にギリシャ・クレタ島付近で任務を遂行していた駆逐艦「榊」が敵の潜水艦から攻撃を受けて大破、その際に戦死した59人と傷病による死者12人を加えた71人が眠っているのだ。

門をくぐる。しんとしている。風が吹く。時折、鳥の鳴き声が聞こえる。私の他には誰もいない。

錨ともやい綱をモチーフにした海軍らしい墓碑の間を歩いていくと、それはあった。「第二特務艦隊戦没者墓碑」だ。側面には戦没者の名前も彫ってある。

墓碑の傍らに、色あせた折り鶴が転がっていた。誰か日本人がここを訪れたのだろう。そっとそれを拾い上げ、墓碑の前に置いた。私にできることはそれくらいしかない。

どんなに手厚く葬られても、死は死だ。なぜ彼らは死なねばならなかったのか、それはこれからも起こる可能性があることではないのか。憲法で戦争放棄を謳っている国の民として考えなくてはならないと思う。

しばらくベンチに座って風に吹かれていた。

墓地の前のバス停は本数が少ないので、Richeというバス停まで歩く。時折車が行き過ぎる以外にはまったく人気のない丘の上をひたすら歩いた。なぜ私はここにいるのだろう。そう思うとき、自分にとって旅をしている意味のようなものが立ち上がってくる気がする。

夕暮れを待たずにマルタを後にした。

なぜか涙が出た。

自ら越えてゆけ〜新成人だった私へ。

20数年前、自分に見えているほんの周囲数メートルが世界だと信じ込んで少し絶望していた私に、今、時をさかのぼったらなにが言えるだろうか、と思って書いてみます。

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いま、希望に燃えているでしょうか、こんなものだと半ば諦めているでしょうか。

私たちの社会はすべてが自由だといいながら、いっぽうでは社会的流動性が低いということが指摘されていますね※。

社会的流動性とは、ひとつの社会のなかで、職業や階級、場所の移動が可能かどうかということ。生まれ育った環境にかかわらず、望む職業に就き、望む場所に住めるか、ということです。

基本的に、日本の社会においてはこれは自由にできるとされています。しかし、実際はそうではないということは、理屈じゃなくても、肌感覚でわかっていると思う。

だって、あなたは、このまま親と親戚と地域社会の「女はこのままこの土地に住んで一生をつつがなく暮らしていくものだ」という無言の大きな圧力を、身体全部で受け止めて、とてもきゅうくつに思っているよね。

先日は、「高卒と大卒の学歴分断線」という記事も話題になりました。そこには自分だけの考えや努力では越えられない分断があるという分析で、大きな反響をよんだのです。

でも、あなたはまず、両親が大学を出ていなかったにもかかわらず、彼らの応援もあって、努力をして進学しましたね。それは、あなたの乗り越えてきたひとつめの壁だったのかもしれない。

ただ、自宅から通える場所、という制限がなされて、他県や東京の大学を受験することは許されなかった。それは、その時は仕方ないことだったのだと思う。

これから先、もっと勉強したいとか、こんな仕事をしてみたいとか、ほかの土地に住んでみたいと思うときがきっとくると思う。いや、きてほしい。思考する力までも、環境に奪われてはいないでしょう?

社会がそうだからと言って、あなたが同じように行動する必要はない。慣習がなんだ、統計がなんだ、傾向がなんだ。あなたには、あなただけの場所を見つけにいくために、そんなものを自ら越えてゆく勇気をもってほしい。

ほんの小さな面積でしかないかもしれないけれど、確かに自分の足で立てる場所を見つけるために、ずっと考え、行動し続けてほしいのです。

そのために、いつも思い出してもらいたいのは、知識は力になる、情報は武器になる、経験は糧になるということ。

そして、大人は意外と頼りになるのだ、ということ。

それでは、20数年後に会いましょう。
この場所で、待っています。今でも走り続けながら。

 

Corak,M. 2013. Income Inequality, Equality of Opportunity, and Intergenerational Mobility.
いわゆる「グレート・ギャツビー・カーブ」として知られる格差の拡大と固定化を示すグラフ。このグラフによると、米国、英国、フランスなどは社会的流動性(Social mobility)が低く、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの北欧主要4か国などは高いとされる。日本も社会的流動性が低いほうに位置づけられている。グレート・ギャツビー・カーブについてもっと詳しく知りたいかたはこちらのグラフ(Wikipedia・英語)も参照してください。 

 

「あとぜき」ってどんな意味? 方言とコミュニケーションの幸福な関係。

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昨夜は、「熊本弁ネイティブの会」の忘年会でした。

熊本弁ネイティブの会とは、おもに首都圏在住の熊本出身者が集うFacebookグループ。

「なんで首都圏で会うと熊本ん出身どうしでん、標準語でしゃべっとだろか? こらつまらん。熊本んもんどうしだけん、おもさん熊本弁ばしゃべろうばい!」

(訳:なぜ首都圏で会うと、熊本出身者どうしでも標準語で話すのでしょうね?  おもしろくないことですね。熊本の者どうしなのですから、思いっきり熊本弁を話しましょうよ!)

ということで2012年から、有志のほんの思いつきで始まったのだそうです。私は発足からほどなくして、出身の先輩に誘われて参加するようになりました。

今年は熊本の震災もあり、この会で数度、首都圏での被災メーカーさんの物販と募金活動をおこない、故郷に少し貢献できた気がします。

この会、会話のみならず、Facebookグループの投稿でも熊本弁が必須。でも、変換がなかなか大変なんですよね…。

そんなネイティブが集っておおいに熊本弁で語り合う会。でも、長年、土地を離れていたりすると、なかなか言葉が出てこない人も多いものです。

興味深い研究結果があります。社会学者のホルムズによると、30歳から55歳までの年齢層の人は、その間、土地固有の言葉の使用頻度が少なくなるのだとか。

この年齢層は社会的活動に参加する機会が多く、社会的責任も大きいため、標準変種(standard variety=標準語に当たる概念)の使用がきわめて多くなる傾向にあるそうです。

その後の年齢層ではまた、ぐぐっと土地固有の言葉を使う頻度が高くなるという結果があるので、社会的活動がどれだけ行動に影響を与えているかわかりますね。

晩年ほど幸福度が高くなる傾向にあるという研究結果もありますので、上記のようなことも関係しているのかもしれません。

とはいえ、近年、急激に進んだ方言離れのいっぽう、最近では若年層が伝統方言に基づいた「新方言」を利用しているといい、人間環境学者の川村陽子氏は、それを「伝統方言の〈やぼったさ〉の中にむしろ個性を主張する機能を見い出しているといえる」と述べています。

「新方言」とは、若い人が今まで標準語になかった語彙を方言から取り入れて使う現象のことで、たとえば「違っていて」を「違くて」と言ったりするのはその例のひとつ(『日本語教育能力検定試験に合格するための社会言語学10』アルクより)。

どのような言葉を使うか、ということは、集団への帰属意識や連帯感、自己アイデンティティなどに関連すると考えられています。

熊本弁をしゃべりながら、私たちは、生まれ育った土地に所属しているという意識を確かにし、現代社会においてとかく薄くなりがちな連帯感を再確認しているのかもしれません。

ところで、記事の冒頭にかかげた写真に書かれている「あとぜき」は、熊本に生まれ、育ち、あるいは住んだことのある人なら誰しも理解できる言葉。

公共の場所や商店の出入り口などに書かれているケースが多く、もちろんしゃべり言葉としても使い、幼稚園児も知っています。

熊本人はこの言葉が熊本でしか通じないということを今でも知らず、私も東京に出てきたときに通じなくてびっくりしました。

本稿の読者のみなさまは、ググらずに、ぜひお近くの熊本人に「どういう意味?」と聞いてコミュニケーションを取ってみてくださることをおすすめします!

 

大人の女の「おばさん」論。

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「おばさんになりたくないよね」というけれど、「おばさん」って、なんだろう。『大辞林』で引いてみると、

 

他人である年配の女性を親しんでいう語

 

とある。これだけだと穏やかなのだけれど、 さらに、

 

若々しさが感じられないという意で、皮肉や自嘲の気持ちを込めても用いる。「――くさい格好」「もうすっかり――だ」

 

ともある。つまり、「おばさん」とは、皮肉ったり自嘲したりする時の呼び方なのだ。

 

誰もが年をとっていくので、自分や人のあり方を皮肉や自嘲を込めて表現したくはない。それでもおばさんと呼びたくなる時があるのは、なぜだろう。

それは、自分やその人に想像力がない時じゃないか、と考えている。

 

自分と人は違うのだ、ということに対して考えが及ばず無自覚な考えをもったり発言したりしてしまった時、私はきっと限りなく「おばさんくさい」のだと思う。

 

小さいときや若い頃は、世界が狭かった。ずっと同じ土地に住み、似たような境遇の人が集まる学校に行き、同世代の人たちと集っていた。想像力もその範囲で働かせればよかった。

 

大人になるにつれ、周囲には違う境遇で育った人や違う世代の人が増えていき、同じように暮らしていた同世代の友人達と自分のライフスタイルも大きく違ってくる。特に女性は、夫や子どものありなしでもかなり生活が変わってしまう。

 

目をもっと遠くに転じてみれば、世界にはまったく違う文化や価値観をもち、違う常識をもってさまざまな境遇で生きている人たちがいる。それはもう、想像を絶する世界に生きる人々の姿が、今日もニュースフィードに表示されている。

相手と自分は違うのだ、ということを前提にコミュニケーションができれば、なんと心地よいことだろう、と思う。


そこには皮肉も自嘲もいらない。

 

サン・テグジュペリの『星の王子さま』の中に、こういう一節がある。

 

On ne voit bien qu'avec le cœur.L'essentiel est invisible pour les yeux.ーこころで見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。(訳:河野万里子)

 

キツネが王子さまに教えた「秘密」だ。有名な一節だけれど、この後にキツネはこう言っている。

 

きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。(訳:河野万里子)

 

ほんの少し、想像力を働かせる時間を取ってコミュニケーションしてみると、きっと相手は私にとってかけがえのない存在になる。

 

そうできれば、私は大辞林がいうところの「他人である年配の女性を親しんでいう」おばさんになれるのではないか、とひそかに思っている。

 

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さて、ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと2016年限定で続けてきたサウンドマガジン+ブログの「Beautiful 40's」、いよいよ今月で最終回。今回は「おばさんといい女の違いとは?」というテーマでトークをしているので、ぜひお聴きください。


音声を聞く環境にない、というかたにはテキスト全文書き起こしのページもあるので、下記からぜひ。

photo: Miki IKeda

 

サウンドマガジンはこちらから。

note.mu

サウンドマガジンの全文書き起こしはこちらから。

note.mu

 

守山菜穂子さんのブログはこちらから。

naoko-moriyama.hatenablog.jp


Beautiful 40'sまとめページはこちらから。

naoko-moriyama.hatenablog.jp



◆女性向けweb「cafeglobe」でショートストーリー「東京一夜」を連載しています。

www.cafeglobe.com



北欧の人が幸せなのはなぜ? それは「人生を主体的に生きられる」から。

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『限りなく完璧に近い人々〜なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?』という本を書いたジャーナリストのマイケル・ブースさんのトークショーに出かけてきました。

タイトルは、「世界一幸せ? 北欧社会のリアルを読み解く」。版元のKADOKAWA、マイケルさんが連載する朝日新聞GLOBE、フィンランド大使館との共催。

来年から大学院に行って幸福とはなんぞやということを研究しようとしているので、各種調査で幸福度が軒並み高いという結果が出る北欧の国々には興味津々。

でも恥ずかしながら、北欧5か国の国名すらさっと言えないくらい、これまで知識はなかったのです。

マリメッコやH&M、IKEAやNokia、映画にもなったレストラン「ノーマ」といったブランドネーム、北欧のシンプルで素敵なライフスタイル…というイメージのみが頭にふわふわあっただけ。

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果たして北欧の国々は、実に教育と社会保障の行き届いたところなのでした。多くは教育と医療が無料で提供され、失業手当も手厚く老後の心配も少ない。

しかも男女平等で、フィンランド大使のお話によると、外務省で働く人の実に75%は女性。さらに、世界に散らばる大使の46%が女性。これ、クオータ制みたいに割り当て目標を定めた結果というわけではないというところがすごいですね。

(ノルウェーはクオータ制で成果を上げているそうです)。

クオータ制とか、フランスの「パリテ」という概念は興味深いので、いつかまた書いてみようかと思いますが、興味のあるかたは検索してみてくださいまし。

ちなみに、2012年、国連が初めておこなった幸福度調査によると、デンマークは幸福度1位。フィンランドは2位、ノルウェーは3位、スウェーデンは7位(ちなみに日本は43位)。

※国連のレポートのPDFはこちらからダウンロード可能。

Sustainable Development Solutions Network | World Happiness Report 2013

ただし、社会保障が厚いがゆえに所得税は50%前後と高いし、高齢化、格差、犯罪、地方衰退など、やはり日本と同じような問題を抱えている国々でもあるのです。

でもなぜ彼らは幸せだと感じているのか? それは「なりたい自分になれるように人生をコントロールできる」からじゃないかとマイケルさんは言います。自分の人生の主導権を握ることができるから、と。

北欧は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの研究によれば、社会的流動性(ひとつの社会のなかで、職業や階級、場所の移動が可能かどうか)において、主要4か国が世界1〜4位を占めているそう。

その意味で、アメリカよりもずっと、なりたい自分になる自由ややりたいことをやる自由がある、といいます。上記調査でアメリカははるか下位に位置していますから。

これに欠かせないのが学校教育。経済格差が小さいこと、福祉のセーフティーネットが充実していることと同じように重要だ、というマイケルさんの話は本を読んでいただくとしましょう。

それにしても、どうやったらこんな北欧の国々のように幸せに暮らしていけるのだろう…と、電車に揺られて帰りながら考えてみたのですが、福祉や教育の充実、というのがひとつの解なのならば、所得税をもう少し支払ってもいいな、という結論に達しました。

それで老後も安心して暮らせるのならば、いいよね。

ちなみに、この本を書いたマイケル・ブースさんは、皮肉とユーモアたっぷりの『英国一家、日本を食べる』(原書は2010年発行の"Sushi & Beyond")の著者。NHKでアニメ化もされたので、記憶のある方もいらっしゃるかもしれません。

その"Sushi & Beyond"のアニメが、今年、農林水産省のYouTubeチャンネルで外国人向けに作成、公開されているので貼り付けておきますね。

今、マイケルさんは『英国一家、日本を食べる』の続編を書いているそうですよ。

youtu.be

 

今回、トークのテーマになった『限りなく完璧に近い人々〜なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?』もマイケルさんのユニークでウィットに富んだ語り口で、とても楽しく読める北欧論になっているので、興味の湧いたかたはぜひ読んでみてはいかがでしょう。






マリメッコ展にも行かなくちゃ!

www.bunkamura.co.jp

大人の色気はひとりの時間でつくられる。

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ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと2人で1つのテーマについて語るサウンドマガジン「Beautiful 40's」。11回目の今回は、「大人の色気」がテーマだった。

 

色気か…そもそも、色気ってなんだろう。

 

広辞苑の第四版で「色気」を引くと、1.色のぐあい。いろあい。2.愛嬌。おもむき。風情。3.異性の気をひく性的魅力。4.女っ気。(以下略)とある。

大辞林の第三版では、1.色の調子。色合い。2.異性を引きつける性的魅力。3.愛嬌。愛想。4.異性への関心。(以下略)とある。

 

なんだかどうやら、色気というモノはおもに異性に対する態度や心持ちらしい…って、いやそれでいいのか。

色気って、異性に対するものだけじゃないと思う。なんだか、それだと狭すぎる気がする。

 

結論として「余計な力の入っていない、自然体で余裕のある状態」と考えた(詳しくは下記リンク先のサウンドマガジンで聴くか、テキスト書き起こしで読んでくださいね)。そんな人からは、やっぱり魅力を感じると思うのだ。

 

菜穂子さんとのサウンドマガジンの中で話しきれなかったことがある。

 

それは、余裕って、ひとりの時間をどう過ごすかでつくられるものじゃないかな、ということ。

 

ひとりのときに、他のことをあれこれ考えるのをやめて、自分と向き合う。そして今、ここにいる自分を感じる。どんな自分であっても、しっかりと受け止めて肯定する。そういう時間を持っている人は、きっと何事にも自然体で向き合えるんじゃないかと思うのだ。それがきっと、人としての色気になっていく気がする。

 

でもなかなか、そんな時間をつくろうったってできない。流行の瞑想だって、やってみても結局身につかなかった、という人も多いと思う。

 

そこで、私が実践している方法は、お風呂タイムの利用。シャワーでも、バスタブに浸かるのでも(こっちがおすすめ)、お風呂に入っている間は何も考えないように努力する、ということ。

 

いったんここで頭の暴走を止める。そして寝るまでの間、ゆったりと自分と向き合ってみるのはどうだろう。その日にあったことを振り返ったり、その日起こったいいことを書き出してみたりするのもいい。私の場合、そうしているとなんだか幸福感が増してくる。

 

今日もいいことがあった1日だったな、と、感謝とともに眠りにつくことができれば、きっと新しい朝が待っている。

 

そうやって毎日をリセットしながら過ごしていくと、きっと今よりも自然体で余裕のある状態になれると思う。そして、そんな色気のある大人でありたい、と思うんだけど。

菜穂子さんも、彼女らしい「色気」について語ってくれたのでとても興味深かった。ぜひサウンドマガジンもお聴きください!

photo: Miki IKeda

 

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私が旅に出る理由〜君が大切だってこと。

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19歳。フランス語と文学を学んでいた大学生だった私は、田舎の街からフランスに旅立った。それから何度もパスポートを更新して、いろんな旅をしてきた。

旅という言葉にはカルチャーっぽくておしゃれなイメージが漂う。私もエディターとしてそういうイメージづくりの一端を長年、担ってきた。

 

でも、実際にそうなのだろうか。

スーツケースに荷物を詰めながら、なんて面倒なことだと思う。出発の前日になると、どうして私は旅に出ようなんてことを思ったんだろうと後悔が始まる。たいてい、早起きしなくてはならないのもつらい。

 

たとえば海外の場合、出国して飛行機に乗ってきゅうくつなエコノミーシートに身体を預けて眠れぬ時間を過ごし、なぜ私は長時間、こんな苦しい思いをしているんだろうと思う。

目的地に着いて、違う空気を吸って違う匂いを嗅いで、違う顔をした人たちがいて、知らない言葉が聞こえてくると急に不安になる。何の理由もないのに、入国検査官に何か咎められるのではないかと思う。

ターンテーブルからスーツケースを受け取ると、呼び止められてすべての中身を出させられたことがある。ロサンゼルスだった。君が怪しいわけじゃない。ランダムに検査するんだ。決まり事なんだよ。

 

空港を出て街に出る。タクシーであろうと電車であろうとバスであろうとレンタカーであろうと、この瞬間が一番ストレスを感じる。


旅の最中もハプニングの連続だ。見知らぬ街を、この方向でいいのかと思って歩きながら、なぜ、私はこんなところにひとりで来てしまったのだろうと思う。私がいま、この国のこの通りを歩いていることはおそらく、誰も知らない。もう一度思う。なぜ、私はこんなところにひとりで来てしまったのだろう。

 

そして時差に慣れ、水と空気に慣れ、言葉に慣れ、その国の紙幣と硬貨に慣れ、食事に慣れた頃には帰国しなければならない。

帰国したらしたで、スーツケースを開けてみればこじ開けられた跡がある。「悪く思うなよ、法律に従ってあんたの荷物を調べさせてもらったぜ」と書かれた紙が入っている。ニューヨークの果てまで出かけてワイナリーで買ってきたワインの封蝋がナイフで切られている。

たまった洗い物を洗濯機に放り込んで、ゴワゴワになった髪を慣れた軟水で洗い流す。違う食生活で肌も荒れたみたいだ。疲れた。明日は出社しなければ。仕事がたまっている。でも時差で眠れない。来月のクレジットカードの請求はいったいいくらになっているのか…。

帰ってきたら、じわりと実感が湧いてくる。飛行機の中で、現地の新聞を破いて情報をくれた人。電車の乗り方を教えてくれた人。素晴らしい景色。美味しい食事とワイン。たまたま出会って翌日の宿を一緒に選んだバックパッカー。思わず女性同士で人生談義をした夜行列車。彼女はイタリアの公務員だって言ってたな。

面倒だったことや不安だったことはすべて忘れて、素敵な記憶だけが残る。それは。宝物のようにキラキラといつまでも輝いている。

だから、私は次の旅に出たくなるのだ。

 

そうやって、いろんなものを見たい、体験したいというのがまず先だった。社会人になって時間が経つと、今度は、旅先では、ふだんの生活で肥大化してしまった会社名や肩書きや自己意識を捨てて、生身の自分自身で世界に向き合わなければならないことに気がついた。

 

その、世界にむき出しの自分のまま立っているというヒリヒリした感覚が、ともすれば流されがちな日々にあって「生きているんだ」と実感させた。

 

今。それからずいぶん旅慣れて、この年齢になって、遠くに来て世界に向き合って「なぜ私はここにいるのだろう?」と思ってきたことに、ようやく答えが見つかった気がしている。

 

遠くにいても思う人。無事でいてねと祈ってくれる人。ただいまと伝えたい人。そう、私は、そんな大切な人たちのことを改めて思い出すために、はるばる遠くまで出かけていくのだろう。そして、しばしの別れを経てまた再開したときに、世界は私にとってこうだったんだよ、そして、君が大切だってことをずっと思ってたよ、と伝えたいんだ。きっと。

 

ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと月に1回公開しているサウンドマガジン「Beautiful 40's」で、今月は「旅」をテーマに語り合った。

 

守山さんは「ソーシャル旅行」について、私は「旅は幸福感をアップさせる」ということをお伝えしている。ぜひ私たちのおしゃべりもお楽しみください。

 

photo : Miki Ikeda

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大人の女のひとりの食事と幸福論。

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「食事ってさ、結局、何を食べるかより誰と食べるか、が大切なんだよね。」
「孤食って、ダメだよね。」

 

うん。そんなのわかってる。理屈をいわなくたって、ちゃんと体感してる。でも、その前に。そんなシチュエーションにならないことも、多いのよ。

ひとりっ子でいわゆる鍵っ子だったから、子どもの頃からひとりでご飯を食べることが多かった(嫌いなものを残すと、後で怒られたけどね)。そういう子は、まわりにもけっこういる環境だった。

 

嫌いなものを無理に食べなくてもいいような大人になって、いろいろな時期を経て、さらに年を重ね、私はふたたび毎日、ほぼひとりで食事をしている。

朝のコーヒー。出先や社食でのランチ。約束やパーティーがない日の夕食。誰と食べるかが大切、といわれても、ひとりで食事せざるを得ないのが現実なのだ。さびしい女だと思われるのだろうか?

人はひとりで過ごすと、一般的に、幸福度、モチベーションや集中度が低く、無感情の状態になるという。ひとりでいて何もすることがないと、精神は心配すべきことを見つけて考え始めてしまうのだそうだ。確かに、そうだと思う。

 

ものを食べるときには、普段よりもポジティブな感情を感じる傾向にあるということが研究でわかっている。けれど、食事の時間は、起きている時間のほんの5%程度。その時間を、ひとりで食べなければならないからと憂う必要があるだろうか?

 

むしろ、ひとりでいるときに自然にマイナスになりがちな感情ってやつを、食事というポジティブな感情で補うといいんじゃないの、と思う。

 

ひとりの食事の時間をより幸福なものにするために、私はいろんなことを心がけている。

たとえば、テレビを始めとする映像コンテンツは見ない。本を読んだりネットを見たりSNSもしない。つまり、ほかのことを考えず、ちゃんと、食事に集中することにしている。

食べるものは、可能な限り、なにか自分にとって意味のあるものにする。農家の友達がつくったお米を炊くとか。震災復興マーケットで買った野菜を使うとか。おみやげでもらった調味料を使うとか。女子友と交換したレシピでつくるとか。今度、恋人と一緒に食べたいと思っている料理を試作してもいい。テイクアウトでもレトルトでも、これが好きだから、と意思をもって選ぶ。

外食だってそうだ。ひとり客をあたたかく迎えてくれる心地のいい店を、いくつか見つけておくといい。私には、1杯だけいただくグラスワインを、いつも無言でほかのお客さんより多めに注いでくれる行きつけのビストロがある。ランチタイムには、苦手な食材が入っていないかどうかをチェックして先に教えてくれるオステリアもある。

 

そうして日々を自分なりにていねいに過ごしていると、誰かと食事をするという素敵なチャンスに恵まれたときは、その時間をより幸せに感じられる気がする。

 

もうずいぶん前に、友人がこう言った。誰かに食事に行こう、って誘われるのって、奇跡みたいな出来事なんだよね。だって、いろんな条件が揃わないと実現しないじゃない? だから大事にしたいんだ。

まだ大人になりきれていなかった私は、たかがご飯を食べに行くだけのことを、ずいぶんたいそうに表現するのね、と驚いた。でも、年を重ねていくうちに、それが本当に奇跡の連続だったのだということを、少しずつわかっていった。

 

大切なのは、あなた自身が、どうすれば心地いいのか、気づくことなのだと思う。自分自身を注意深く観察してみると、いろいろとおもしろいことがわかってくる。ひとりの食事はきっと、それに最適な時間だ。

「フロー*」という概念を提唱した米国の心理学者、ミハイ・チクセントミハイは、幸福であるために交友関係の重要さはどれほど高く評価してもしすぎることはないという。しかし、こうも述べている。

 

長い目で見ればより有用であるという点で習得するべきスキルは、孤独に耐え、孤独を楽しみさえする能力である。『フロー体験入門』

 

毎日の生活を素晴らしいものにするかどうかは、あなた自身がものごとをどのようにとらえ、どのようにするか、にかかっている。

 

子どものころ、孤食を経験してきた私は、それでもなんとかちゃんとした大人に育ってきたんじゃないかと思うんだけど、どうだろう(笑)


ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと月に1回公開しているサウンドマガジン「Beautiful 40's」では、毎日の「食」をもっと楽しくする40代女性たちの視点、というテーマで語りあっている。

ここでは「自分でコントロールできるという感覚は大事」ということを話したり、私がとある告白をしてみたり…ぜひ私たちのおしゃべりも楽しんでいただければうれしいです。

*フローとは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう(Wikipediaより)

 

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