EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

マルタ・バレッタ〜ピースボート乗船記

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バレッタ市門

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月24日(金)、日の出05:50、日の入20:07 マルタ・バレッタ

07:00、マルタ・バレッタに入港。マルタ共和国は、南ヨーロッパの共和制国家であるが、人口は40万人と少ない。いわゆる「ミニ国家」のひとつである。面積は東京23区の半分の大きさ。公用語は英語とマルタ語。

寄港した首都のバレッタは港を見下ろすシベラスの丘の上にある城塞都市で、世界遺産。「1565年にオスマン帝国からの防衛に成功した聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)の総長ジャン・ド・ヴァレットにちなみ命名された」とある。

格子状の街区に設計されたので、バレッタ市門から始まるリパブリック通りはまっすぐにのびており、他の道も格子状だ。

今日もひとり自由行動。まずは市門から「要塞」内に入り、聖ヨハネ大聖堂に立ち寄ろうとするも、長蛇の列でいったんあきらめる。今日は我々の船と、もう一隻、客船が入っていたので団体客が多いのだ。

全体の概要をつかむために、ぐるりと一周してみた。規模は意外と小さく、すぐに把握することができる。非常に堅牢で、かつ美しい街だ。

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張り出しバルコニーのある中世時代の作りの家々

その街になじむには、カフェに入るに限る。1837年創業の老舗カフェ「Caffe Cordina」のオープンスペースに陣取る。アイスコーヒーはなかなかの苦みだったので、ミルクを入れてゆっくりと飲む。街ゆく人々をのんびりと眺めてみる。

そのうち12時になった。オールド・ベーカリー・ストリート(昔、パン屋が多かったのでこうつけられたらしい)にある目当てのビアカフェ「67 Kapitali」がオープンする時間だ。店に着いて「開いているか」と聞くと「あと20分待ってくれ」という。

おかしいな。マルタには勤勉な人が多いと聞いていたけれど。

20分後に戻ると、店はちゃんと開いていた。Google Mapに「Cozy」と書かれている雰囲気そのままの、カラフルなカフェのような空間。親しみが持てる。席に着くと、もしドラフトを飲みたいならこっちで選んで、と、なかなかのイケメンに笑顔で誘われた。ずらりとタップが並び、すべてマルタ産のビールだという。

どんな味が好みなのかと聞かれて、今日は暑いからピルスナータイプがいい、何かリコメンドしてと伝えると小さなコップにで「これはどう?」と味見させてくれた。うん、いい。ハーフパイントお願い。

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67 Kapitali

ついでにランチも取りたい。メニューからミラノ風サンドイッチを選ぶ(マルタでミラノ風を選ぶなとは言わないでほしい)。やがて、大きなパンに挟まれたサンドイッチがやってきた。これがやたらとおいしい。パンは自家製なのだそうだ。おなかに余裕があれば、もっと他の料理も食べてみたかった。

ハーフパイントを飲みきってしまったので、別のビールをあとハーフパイント、とお願いする。至福である。2杯目のビールを飲みながらiPhoneでFacebookを見ていると、ほぼ同時に2人の友人から日本海軍の兵士たちの墓碑について連絡があった。

そうだ、思い出した。昨年、通っていた大学院の「国際政治経済システム論」を受講していた際に、課題図書として読んだ『マルタの碑』という事実をもとにした小説があった。第一次世界大戦中、日英同盟のため遠く地中海までイギリス軍を援護しにやってきて「地中海の守り神」ともたたえられた末、マルタで戦没した日本海軍の兵士たちがいる。その慰霊碑がここマルタにあるのだ。

午後に考えていた大聖堂見学などの予定を変更して、カルカーラという町にあるその慰霊碑に参拝しに行ってみることにする。ターミナルからカルカーラ行きのバスに乗り込む。片道1.5ユーロ。約30分でNavaliというバス停に着いたら、墓地は目の前だった。

ここ英連邦海軍基地には英国、ドイツ、イタリア、フランス、そして日本の戦死者の墓がある。1917年6月11日にギリシャ・クレタ島付近で任務を遂行していた駆逐艦「榊」が敵の潜水艦から攻撃を受けて大破、その際に戦死した59人と傷病による死者12人を加えた71人が眠っているのだ。

門をくぐる。しんとしている。風が吹く。時折、鳥の鳴き声が聞こえる。私の他には誰もいない。

錨ともやい綱をモチーフにした海軍らしい墓碑の間を歩いていくと、それはあった。「第二特務艦隊戦没者墓碑」だ。側面には戦没者の名前も彫ってある。

墓碑の傍らに、色あせた折り鶴が転がっていた。誰か日本人がここを訪れたのだろう。そっとそれを拾い上げ、墓碑の前に置いた。私にできることはそれくらいしかない。

どんなに手厚く葬られても、死は死だ。なぜ彼らは死なねばならなかったのか、それはこれからも起こる可能性があることではないのか。憲法で戦争放棄を謳っている国の民として考えなくてはならないと思う。

しばらくベンチに座って風に吹かれていた。

墓地の前のバス停は本数が少ないので、Richeというバス停まで歩く。時折車が行き過ぎる以外にはまったく人気のない丘の上をひたすら歩いた。なぜ私はここにいるのだろう。そう思うとき、自分にとって旅をしている意味のようなものが立ち上がってくる気がする。

夕暮れを待たずにマルタを後にした。

なぜか涙が出た。