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カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

スエズ運河からエジプト・ポートサイドへ〜ピースボート乗船記

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スエズ運河を航行する

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月16日(木)、日の出04:55、日の入18:40 スエズ運河

05:45、靄のかかる中、船はゆっくりとスエズ運河に入った。全長193.3km、幅205m、深さ24m。前後の船と1マイル(約1.6km)の距離を保ちながら、7〜9ノット(時速約約15km)で通り抜けてゆく。

今回通行するのは2015年に運行を開始した全長72kmの第2スエズ運河。双方向の運行が可能で、通行できる船舶の数も49/隻から97/隻へと劇的に増加。運河収入も年間53億ドルから123億ドルに増えたとか。

ここを通るなら、スエズ運河の国有化をきっかけとして、1956年10月にイスラエル・英・仏とエジプトの間で勃発した戦争、スエズ戦争のことを思い出さねばなるまい。1956年10月、エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に衝撃を受けたイギリスがフランス、イスラエルに働きかけ、協同で出兵し、エジプトに侵攻した。

日の出と同時に、ふだんは開放されていない7階前方デッキが開くとアナウンスがある。さっそく向かうも、もう既に黒山の人だかり。1時間半あまり立っていたが、結局最前列にはたどり着けなかった。Oh, no。お願いして、写真を数枚だけ撮らせてもらう。こういう場での譲り合いが苦手な一群というのはいるものだ。

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スエズ運河沿いの労働者のモニュメント

通っていくと両岸に砂漠が広がるばかりの味も素っ気もないスエズ運河だが、たまに記念のモニュメントに出会うことがある。スエズ運河は、大半が人力掘削で作られたとの話を聞く。何かを掘る動作の労働者のモニュメントは、その象徴として作られたものなのかもしれない。

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スエズ運河橋

12:30頃、スエズ運河橋、あるいはムバーラク平和橋、あるいはエジプト-日本友好橋の下を通った。スエズ運河を横断する唯一の橋は、日本政府からの支援の下に建設された。施工した3社は日本企業(鹿島、NKK、新日鉄)。2001年10月に開通した。

橋脚の高さがクフ王のピラミッドと同じ140mに設定され、外観はオベリスク(古代エジプトの記念碑)をイメージ。橋の中央に、エジプトと日本の国旗がデザインされている。撮影すべく、汗だくになりながらデッキで粘ってみたところ、両国の国旗は既に砂漠の太陽に照らされてほぼ退色してしまっていた。

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エジプト・ポートサイド

16:00、予定より1時間早くエジプト・ポートサイドに到着。現地の発音でいうとポートサイードという方が近いか。船の上から見るこの地は美しいとは言い難いが、2週間ぶりに着いた陸地にホッとする。

17:30頃から外出し(必ず3名以上で行動するようにとのお達しがあった)、少し街中を歩いてみる。近くにいた一団が、フリーWi-Fiを求めてレストランに入るというのでご一緒する。

何か食べたいね、ということになったのだが、我々の直前で食事のメニューが尽きてしまったと店のスタッフが悲しそうな顔でいう。

「ビコーズ・イッツ・ラマダン」

そうなのだ、今は現地の人にとってはラマダンの真っ最中。でもこのレストランの贖罪が尽きてしまったことはラマダンと関係あるかどうかは私にはわからない。

ペプシコーラを飲んでいたら、日没と同時にアザーンが聞こえてきた。遠くまで来たな、と思う。