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EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

Interstate〜手放すということ。

エッセイ 写真 海外旅行 日記

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昨日の音声ブログで「手放すということ」というテーマで話した。

 

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一時期はよく使っていたけれど、最近出番のないカメラを3台、手放すことにしたという話である。夏にも1台、友人に譲ったので、今年は計4台のカメラを手放すことになる。

 

「で、次は何を買うの?」といわれたけれど、今のところ、ほかのカメラがほしいというわけではない。

 

強いて理由を考えると、なんだか少し余裕がほしくなったから、だろうか。そのカメラとともにあった日々を無意識にでも抱えているのが重くなって、手放したくなったから、ということなのかもしれない。

 

カメラに手をつけたら図らずも部屋の大整理になり、さまざまなものを捨てた。「捨て魔」の母の性格を受け継いで、ふだんからものをよく捨てるほうで、部屋には無駄なものはほとんど置いていないつもりだけれど、それでもまだ無駄なものがどんどん出てくる。

 

そこで、ものはどんどん捨てて、書類はどんどんスキャンした。

 

音声ブログで私は、「手放すことは物理的にも心理的にもスペースをつくり、新しいものが入ってくる準備をすることだ」と話した。昨日はそう思っていた。けれど、一夜明けて、果たしてそれだけが正解かと考えている。

 

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もしかしたら、ぎゅうぎゅう詰めにするってのもありなんじゃないか。

 

振り返ってみるに、もういらないと思ったらどんどん捨てて、見込みがないと思えばさっとその状況に見切りをつけて、というのが私の性格の傾向だ。別の面から見ると、カッコをつけすぎていただけなのかもしれない。そこを「空いたスペース」と思いこみ、何か新しいものが入ってこないかな、と、他力本願だったのかもしれない。

 

もういらないと思っても、もう見込みがないと思っても、もう少ししがみついてみる、粘ってみる。そうすれば、明日は明日の風が吹くのかもしれない。

 

「生き方のクセを変えないと同じパターンを繰り返すだけだから、人生を変えたけりゃ、自分のパターンを破らないとね」と話していた友人がいた。

そうなのかもしれない。そうでないのかもしれない。けれど、ためしてみるのもおもしろそうだ。結局、やってみなけりゃわからない。


さあ、私がもう少ししがみつかなければならないものは、なんだ。

 

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Photo: Miki Ikeda / Los Angeles-Long Beach-Las Vegas, 2011