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EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

失敗写真のよろこび。

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好きで写真を撮っていてもなかなか思うように撮れないということが多く、失敗写真も多いわけなのだけれど、その中に「自分の膝元」が混じっていることに気がついた。

おそらく、膝元でその場に応じたセッティングをしようと思っているうちに撮れてしまうのだろう。

以前は、旅先で、自分の足先と景色を一緒に入れて撮影することが好きだったので、たくさんその写真もあるのだけれど、「桃井かおりさんが同じような写真を撮っているね」と友人に聞いて以来、撮影するのをやめてしまった。

桃井かおりさんの旅にはかなわないだろう、と素直に思ったのと、人と同じようなことはしたくない、と思ったことの両方が原因だ。


10代から20代にかけてはよく写真を撮った。父から譲ってもらったCanonAE-1をどこにでも持っていった。最初に勤めた会社にNikon FE2があり、撮影も自身でしなくてはならない職場だったこともあり、愛用した(ちなみにその時の社用車がプジョーで、これも気に入ってよく乗ったこともあり、私の中ではプジョーとNikonのカメラがセットで記憶されている)。


そのうち、転機がきた。人生には時に、ライフスタイルをまるごと変えてしまうほどの出来事がある。他人にとっては些細なことでも。

写真で撮れるものなんてたかが知れている。そう思いこんで、世界のあちこちをカメラも持たずに旅した期間がおよそ10年。ふたたび、撮りたい、と、カメラをもつようになった。

 

そして、思った通りの写真が撮れない、というジレンマに陥る。人の撮った写真はみな素敵に見える。

あるとき、旅から帰ってきた時に、膨大な数の写真を見返しながら、うまく撮れていなかったシーンにため息をついているときに発見したのだ。この「失敗写真」を数枚。

膝元の写真を眺めながら、悪くないじゃない、と思う。その日着ていた服、履いていた靴、行った場所の床、向かいに座っていた人の足元。誰かになにかを伝えられるわけではないけれど、一面、とても雄弁な気がした。

 

ああ、伝えようとしすぎだったのかな。

 

いろんなことに当てはまる気がした。説明しようとしすぎて力を入れて、伝わっているか気にするあまり確認したくて、思うような答えが得られないと気に病む。それが私。

 

一気にそんなことをこの写真1枚で考えた。

 

失敗したはずの写真に教えてもらった、小さなこと。新しく気がつくことって、いつだってよろこびだ。