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EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

旅の人〜故郷と地方と東京と。

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photo/Taisei Kanamoto 2014

昨年からご縁あって富山、金沢などの"地方”と、プロジェクトという形で多くかかわった。特に富山へは、ライフワークの「100人プロジェクト」のために何度も通って多くの場所を訪れ、多くの人と会った。

 

「この地域のこういうものがいいよね」と感じたり話したりするうち、無意識に私は「東京にはこういうことってないだろうし」みたいな言い方をしているらしい。活動をともにしている東京生まれ育ちの仲間が、そのたびに私を軽くキッとにらむ。

 

「東京にはないもの、って言わないで。東京にだってあるんだよ」

 

地域のいいもの、を、東京と比較して(しかも「ないもの」として)しかとらえられない私に気がついて、そのたび愕然とする。

 

「あ、また言っちゃったね、ごめん」

 

果たして私はどこに立っているのだろう、と思う。

 

私は熊本の生まれ育ちで、20代になるまで関東という土地に来たことすらなかった。それから東京ではたらいて生活してきた。でも、アイデンティティは分かちがたく熊本にあると思っていた。なんといっても、私が育った場所だから。

 

それが、昨年から何度か、プロジェクトのために熊本を訪れる、という経験をして、まったくそうではないことに気がついた。

 

私、熊本のこと、なんにも知らない…。

 

学生のころよくツーリングに行った阿蘇も、海水浴やダイビングに通った天草も、高校時代にあれだけ毎日歩いた"街”(熊本では市内中心部のことをこうよぶ)も、まったく知らない場所に見えた。

 

出会った人々も、まったく知らない人ばかりだった。私の生まれ育った場所にこんな人たちがいたんだ、と思った。長く知っているはずの友人達ですら、私のまったく知らないフィールドで活躍する人になっていた。

 

そうか、私は"旅の人”になったのかもしれない。

 

旅の人、とは富山で「よそもの」を意味する言葉、らしいと初めて行ったときに聞いた。

 

Wikiにはこうある。

 

普通は「県外出身で富山県に在住して間もない人」のことを指す。「富山県出身で県外に在住している人」を指すこともある。(中略)県外出身者に閉鎖性を感じさせる言葉とされる。(中略)この言葉を使っている側には、県外からの文化を伝える人々をまれびととして上座に置いてもてなす意識もあるため、失礼を意図して使われる言葉ではない。(Wikipedia)

 

まれびと、とは「時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する折口学の用語」(Wikipedia)だそうだ。

 

よそからやってきて何かをもたらす人。

 

さまざまな地域に対して、そして故郷に対してすら、もしかして、そうなれているのなら、それは本望というものかもしれない。

 

いつか遠い昔に、「旅をして生きていきたい」と願ったことがあるから。

 

つい先日まで、旅は自分だけが何かを得るものだと思っていた私は、あと2年で、熊本で暮らした日々と東京で暮らした日々が等分になる。