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EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

物語を読むということ。

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"本を読む"という行為は”小説や物語を読む”ことを指すのだとずいぶん長いこと思っていた。若いある日「読書が好き」という友人と話すことがあって、最近読んだ本は? と聞いたらビジネス書や実用書で、あ、それも"読書”なんだ、と思った過去がある。経験不足だった。

見渡せば、友人達は自然科学やビジネスといった、ずいぶんいろんなジャンルの本を読んでいるのだった。本は”物語”だけではなかった。

それから、どんな本でも一通りは読んでみるようになったけれど、未だに読書というと、物語の中にひととき身を沈めること、という気持ちが強い。というわけで、ちょっとまとまった時間があるときは物語を読むことにしている。

物語といってもさまざまなジャンルがあって、日本の現代作家のものから純文学、日本や海外のSFなど、気になったものは手当たり次第に読んできた。一時期は海外の現代作家の短編小説にとても興味が湧き、新人作家の発掘を目的として、フランシス・コッポラが出していたタブロイド判の文芸誌『Zoetrope All Story』を米国から定期購読で取り寄せていたくらいだ(その後日本語訳されて3冊の単行本に分けられて角川書店から出版されたが、現在は品切れ)。このタブロイドはいつも、カバーのアートワークが素敵だったので楽しかった。

海外の小説で、日本の出版社から出されたものだと新潮社クレスト・ブックスにはかなりお世話になった。ここが選んで出すものなら、知らない作家の作品でもおもしろいだろう、と思って買っていたので、さまざまな海外の作家に触れるきっかけにもなった。

乱読するうち、自分の好きな作家の傾向がわかってくる。どうやら私はとくに、移民二世だったり、故郷を遠く離れた国で暮らすことになった作家の作品が好きなようだ。

たとえばロンドン生まれ米国育ちのベンガル人、ジュンパ・ラヒリ。『停電の夜に』という短編集は今でも抱きしめたくなるくらい好きだ。

たとえば中国系アメリカ人のエイミ・タン。『ジョイ・ラック・クラブ』に続くいくつかの作品が日本語に翻訳・出版されていたが、そのうち新刊は日本語では出版されなくなり、それまでに出ていた本も今は入手不可なのが実に残念。

そしてたとえば『わたしを離さないで』のカズオ・イシグロは日系イギリス人作家だ。

こういう人たちの作品に惹かれるのは、二つの国にまたがる郷愁やエキゾティシズムに何かを感じるからかもしれない。

こんな文学を読むいっぽうで、ある時期からミステリ小説もとても好きになり、警察や事件をテーマにしたものなどはいろいろ読んだ。日本人作家もさまざまなものを読んだけれど、特に好きなのは『クライマーズ・ハイ』などで知られる横山秀夫氏の作品。精緻な書きっぷりにいつも感嘆しつつその世界に入り込んでいる。

そんな中、長い間続けてシリーズを読んでいるのが、米国人女性作家サラ・パレツキーの、シカゴに住む女探偵『V.I.ウォーショースキー』のシリーズ。

パレツキーは、古今東西のミステリを読みあさって、女性が「とてもか弱く男に庇護されなければならない存在」と「狡猾で色香によって男を惑わす存在」の2種類しか描かれないことにとても不満を抱いたのだという。そこで勇敢でけんかっ早く、でもケガもするし時には心がくじけるし、男性との関係もうまくいったりいかなかったりしてちゃんとセックスもする、そんな生身の女探偵を描きたいと思った。

そうやって生まれたのがV.I.ウォーショースキーだ。

V.I.は私より少し年上で、作品とともに年齢を重ねているので、ずっと、シカゴに住む頼れる姉貴分の物語を聞かせてもらっている感じがしている。

このところ、他に時間を使うことが多くて物語に身を浸すことがめっきり減っていたけれど、ふと思い立ち、この年末年始はV.I.とともに過ごした。読み逃していた『ナイト・ストーム』をゆっくりと読んだのだ。実に楽しくドキドキワクワクする日々だった。

本を読んで世の中のこと、ビジネスのことや自分の生き方について考えをめぐらすのもいいけれど、たまには物語を読んでみるのもいいと改めて思った。もうひとつの現実を生きてしばし浮き世を離れ、また戻ってくる。その時、ちょっとだけ世界が違って見える。そんな時間も悪くない。

とは言ってもまたウィークデーが始まり、すっかり日常生活に忙殺されてしまうのかもしれないけれどね。