EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

熊本への帰省#02 阿蘇へ〜復興の湯の幸せと、見知らぬ人との出会いと。

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ややありて次のひぐらし鳴きにけり 美樹

 

阿蘇の曲がりくねった長い道をソロドライブで、今宵の宿に到着した。今日は、東京からやってきている仲間たちと阿蘇神社で合流することになっている。

 

途中で立ち寄った景勝地「大観峰」で、名古屋から家族旅行に来ているという家族連れに話しかけられた。

 

熊本のかたですか? 震災の後のこんな時期に失礼かな、と悩んだんですけれど、これも意味のあることかなと思って熊本に来てみたんです。実際にこの目で見て、いろいろなかたとお話しできてよかった。復興って、これからのことなんですね。それがわかりました。テレビで見ているだけじゃわからなかった。今回見たこと、聞いたことを周囲に伝えようと思います。さっき撮っていただいた写真を、来年の年賀状にします。がんばってください。

 

宿では、日帰り温泉に入りに来ているというご婦人にも話しかけられた。

 

私、大津(熊本県菊池郡)なんです。我が家?  一部損壊しました。でもね、くよくよしてたって仕方ないの。こうやって大好きな温泉に入りに来て、明日もがんばろう、って思うしかないじゃない。いいお湯があって、明日があって。命あってこそだものね。あなたは東京から? ああ、ご実家が熊本市内なの。大丈夫だった? 今日はお会いできてよかったわ。温泉楽しんでくださいね。

 

旅先での出会い。名も知らぬ人とのほんのひととき。それでもわかることがある。

 

心やさしき人がいて、心強き人がいて、今日があって、ちょっとだけ幸せを感じられて、明日もあると信じられればいい、ということが。

 

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今回お世話になったのは、「本震」後に甚大な被害を受け、湯が枯れてしまったにもかかわらず、温泉を新たに掘り、3か月で復興を果たした「蘇山郷」さん。まさに復興の湯に浸かり、心身ともに蘇り、幸せを感じました。

www.sozankyo.jp

熊本への帰省 #01 信じることが力なのだろう。

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「いつもん道ば通ってみるね?」と母に聞かれた。 阿蘇くまもと空港から実家へ車で行くには、広告も、標識も、信号すらない整備された緑生い茂る美しい道を通るのがスタンダードだ。

 

しかし母は、昔から自分が通い慣れた、町の中を通る古い道を通るほうを好み、私を空港まで迎えにきたときにはいつもそこを選んだ。益城町を通る道を。

 

ここを左に曲がると、アキヨシ叔父ちゃんの実家。覚えとるよね。あそこは全壊したけん、もう誰も住めんとよ。母がそう説明しながら慎重に車を進める。

 

こっから先は覚悟しとかなんよ。

 

…見慣れた通り道は、時空が歪んだようだった。傾いた電柱。斜めになったままかろうじて建物の形を保っているビル。上下の軸が違う二階建て。そして瓦礫と化して自然に帰りつつある木造の一軒家。営業しているかに見える店にも近づいてみると、ガラスの割れた戸が開け放たれたまま、人気はない。

 

私はいったい、なにを見ているのだろう、と思った。無力だ、あまりにも圧倒的な現実の前に私は無力なのだ、という感情しか沸いてこなかった。急に涙があふれて、止まらない。外を眺めているふりをして、ハンドルを握る母に気づかれないようにした。

 

夕方。それでも日常生活を送っていくこの街のひとびとの営みの結果の渋滞につかまる。傾いた建物の角から急にサッカーボールが現れた。 そして、ユニフォームを着た少年たち。学校帰りなのだろう。あまりにも非現実な街で、彼らは急にリアルな事実だった。子どもたちは、これを現実として受け入れ、それでもたくましく育ってゆくのだろう。

 

空港から阿蘇方面に見えた大きな入道雲を思い出した。それでも夏はやってきて、やがて秋になり冬になり、季節はめぐってゆく。そうやって生きてゆくのだ。

 

そう信じることが、力なんだろう。この街にも、そして私にも。

 

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京都8句〜スナップ写真のように俳句をつくる「吟行」のやりかた。

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【京都8句】

葛切にをんないよいよ姦しく

金比羅を猫の横切る夏真昼

九条にも涼しき風の吹くところ

鱧引きてをりし主人の白き指

夏の夜のグラスの中の金の泡

短夜のまなうらにある山の色

朝食に加はつてくる蝉時雨

縁(えにし)にも濃き薄きありかき氷

 

今回の京都旅では、Facebookへの投稿のたびに即興で一句つくるということをためしてみた。

 

俳句の世界では、こうやって俳句をつくりながら旅することを「吟行」という。 スナップ写真のように、その後いつまでたってもその句をつくったときの情景が思い出せるところがとても好きなので、できるだけつくるようにしている。

吟行のやりかたは簡単。

「その場で俳句をつくる」、ということ。その場で見たもの、感じたことをじっくりと自分の中で味わったのち、季語を使って17音に収めればいい。

 

やってみれば、なかなか句材が見つからないことに気がつくと思う。その場合は「観察」が足りないということ。そこにあるもの。吹いてきた風。匂い。感情。思いがけぬこと。それらを五感をすべてつかって感じ尽くすことが大切。メモを取ってもいい。

感じ尽くしたのちに、ふわりとあふれ出てくる言葉がある。それをつかまえる。そして17音に仕立てていく。

 

ここで、できるだけ避けたほうがいいのは「地名はできるだけ入れない」こと。理由は、野暮になりがちだから。「その場で詠む」ことのほうが大切なのである。

 

俳人はとかく「野暮」を嫌うもので、自句の解説はしたくないものだけれど(笑)、今回の8句をどこでつくったかについては、メモを残しておこうと思う。 大サービスです。

 

葛切にをんないよいよ姦しく(鍵善良房

金比羅を猫の横切る夏真昼(安井金比羅宮

九条にも涼しき風の吹くところ(ホテル アンテルーム 京都

鱧引きてをりし主人の白き指(祇園ろはん)

夏の夜のグラスの中の金の泡(Cave de K

短夜のまなうらにある山の色(ホテル アンテルーム 京都

朝食に加はつてくる蝉時雨(ホテル アンテルーム 京都

縁(えにし)にも濃き薄きありかき氷(中村軒

 

句歴20年、なかなか周囲に興味をもってもらえなかったけれど、最近、だんだん増えてきたような気がする。季語や俳句について、もっと伝える機会をつくっていこうと思う。

 

ご興味あるかたはぜひご連絡ください。

 

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フォーカシング・イリュージョン〜そのとらわれから自由になろう。

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もう少し理想の体型であれば、この恋がうまくいきさえすれば、結婚さえすればすべてがうまくいくのに…と、かつて思った経験はないだろうか。

 

もっと若い頃であれば「この学校に合格さえすれば」「この会社に就職できさえすれば」ということだったかもしれない。

 

じゅうぶん大人になった今では「そうじゃなかった」ということに、とっくに気づいている。


でもやはり、「この○○が○○でさえあれば…」と思わずにいられない。そして、そのことばかり考えてとらわれてしまう。

 

こんな気持ちを「フォーカシング・イリュージョン」と名付けたのは、ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマン。2006年に発表された論文で、人は、収入などの特定の価値を得ることが幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向がある、ということを述べている。


なるほど、私だけじゃなくて人の「傾向」なんだ。

 

この言葉を知ったときに、そう思って安心した。ならば、仕方ない、今度はそこから脱却すればいいんだ、と気持ちが切り替えられたから。

 

それから、なにか1つの考えにとらわれて堂々巡りをしそうになったときには「これはフォーカシング・イリュージョンってやつじゃない? 私、過大評価してない?」と自問できるようになった。

 

芸術家の友人は「人は言葉を生み出したから不自由になったんだよ」とよく言っていた。言葉にとらわれるようになってしまったから、と。なるほど、その気持ちもわかる。

 

でも逆に、言葉を知ることで救われるような気持ちになることだってあるんじゃないかな。私はいつもそう反論していた。

たとえば今の季節なら、実は「涼し」という言葉は夏の季語で、俳句の世界では暑い夜に輝く夏の月を「月涼し」と表現する。こういう言葉を知ると、世界が急に美しく見えてきて、蒸し暑い夜だって、なんだかちょっと涼しく感じられたりもする。そういうようなこと。

 

もう会えないその芸術家はなんと答えていたか、もうはっきりとは思い出せないけれど。

 

さて、ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと毎月公開しているサウンドマガジン「Beautiful 40's」も第7回目を迎え、今回はボディラインについて話し合った(夏だものね!)

 

その中で「フォーカシング・イリュージョン」についても話している。とらわれすぎず、冷静に自分を見つめて、慈しんでほしいな、と思うし、自分自身でもそうありたい。

Photo : Miki Ikeda @ Manhattan 2012

 

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ロングヘアのよろこびと憂鬱と。

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幼い頃の写真を見るとほとんどがロングヘアだ。

自分のひどい天然パーマを気にしていていた短髪の母は、娘のさらさらの髪をのばすことを気に入っていたらしい。

案の定、思春期に反発心が起こり、中学生になった頃、私はバッサリと髪を切ってしまった。それ以降、ずっとショートヘアを続けてきた。服装もほとんどパンツスタイルだった。

 

その髪をまたのばし始めたのは社会人になってからしばらく経った頃。服装もフェミニンに変え、パンツスタイルでは決して人前に出なくなった。見た目から自分を変えたかったのだろうと思うけれど、理由はよく覚えていない。

 

果たして、さらさらだったはずの私の髪は太くゴワゴワになって、うねるようになっていた。こんなのじゃなかったはずなのに、と、もくろみは大きく外れてしまった。

それからは苦難の連続だった。あらゆるシャンプーを試し、ヘアサロンでトリートメントをし、時にはストレートパーマをかけ、カットを工夫してもらった。それでも強くて太い私の髪はいうことを聞いてくれない。

ここで告白するのだけれど、一時期ウィッグをかぶっていたこともある。いくつかのヘアスタイルの安い演劇用ウィッグを揃え、気分によって使い分けていた。地髪をまとめてネットをかぶり、何か所かをピンで留めてウィッグをかぶるだけ。慣れるとものの数分でできてしまう。

意外とこれは気づかれなかったし、地髪を気にしないでいいのでものすごく楽だった。けれど、そもそも自分の髪をちゃんとケアしなくてどうする、という罪悪感でいつしかやめてしまった。

女性の外見的な衰えをどこで感じるか、というと、肌などではなく髪、というデータを見たことがある。その取材の中で地肌をケアする必要性を強く訴えるかたに出会った。いやいやそういってもなあ、と思いながら、教わった方法で毎日「頭」をケアしていると、なんだか髪質が変わってきた。

これ、地肌ケアすると髪質も良くなるよ、という単純な話じゃなくて、実は自分をいたわる、ということなんじゃないかと今では思っている。「嫌いな髪、なんとかなれ!」じゃなくて「すこやかな髪になってきてね」という気持ちが伝わった、というのだろうか。

心もそうだけど、自分を自分で愛し、認め、受けいれることって必要だ。

雨の時期には相変わらずうねって広がる、量の多い髪だけれど、今ではこの髪が好き、といえるようになったことは、私にとって実はとても大きなできごとなのである。

そんな話も含め、ヘアケアについてブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと語り合ったサウンドマガジンも、ぜひお聴きください。

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いま、ふたたび、口紅の魔法に出会う。

 

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「美樹さんは大人っぽくなる瞬間があるの?」と真顔で尋ねられた。月に2回、ジャズとラテンの歌のレッスンを受けている先生に、だ。


大人の女性の恋心の機微を歌わなくてはならないシーンで、どうしても私は「ハキハキ、元気よく」歌っているらしい。もっと女優になったつもりで、と言われたが、どうがんばってもハキハキ、元気よく、せつない恋心を歌ってしまう。

 

「まあ、性格なんでしょうから仕方ないわね」と苦笑された。

 

小さいころは、ハキハキ、元気よくしていることをよしとされていた。そのために私はきっとがんばってきたんだろう。生来の性格もあったと思う。そしてきっとほめられたりして、得意になったりもしたんだろう。

大人になれば自然にアンニュイになったりセクシーになったりゴージャスになったりして、勝手に大人の女性になるものだと思っていた。けれど、結論からいうと、セクシーにもゴージャスにもなれなかった。

そういう自分を、少し恥ずかしく思ってもいた。

 

つい先日、お互い駆け出しの頃によく仕事をしていたスタイリストに会った。さまざまな仕事をする売れっ子になっている。決して派手な服を着ているわけでも目立つ小物を身につけているわけでもないのに、センスのよさに控えめな品格が加わり、なんだか見事に素敵な大人の女性になっていた。

 

あの頃はお互い未熟だったよね、と笑い合ったあと、彼女が「これ、あげようと思って持ってきたの」と、華奢なミニバッグから金色に光る箱を取り出した。開けてみて、というので見てみたところ、一本の口紅が出てきた。

 

「これ、見た瞬間にあげようと思ったの。そして、今、あなたにきっと必要なものだという予感がする」

そう言っていたずらっぽく私を見つめた。

 

美しいケースに収まった口紅。赤でもピンクでもないコーラルという色が、私の気持ちを一瞬でときめかせた。

子どものころにこっそりと母親の鏡台に向かって、メイクをしたことを思い出した。きれいになった自分にうっとりして、メイク道具がほしくてほしくて、赤いクレヨンにこっそりとLIPSTICKと書いて筆箱にしのばせたことも。

 

「私は口紅を持ち歩いている」という気持ちが子ども心を華やかにして、誰も知らない秘密なのだということにドキドキしていた。

メイクポーチに口紅を入れて歩かなくなったのは、いつからだろう。私は長い間、何を忘れてしまっていたのだろう。

 

女友達からもらったコーラルの"LIPSTICK"は、これから私に何を教えてくれるだろう。いま、私の鏡台で静かに出番を待っている。

 

少女時代に母親の目を盗んでメイクをしていたこと、そしていま。40代の女性のメイクについて、ブランド・マネージャーの守山菜穂子さんと語り合ったサウンドマガジンも、ぜひお聞きください。

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 Photo : Miki Ikeda via Instagram

美容「道」は大人の女性の娯楽である。

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大学を卒業するまで美容にまったく関心がなかった私は、女性誌の編集者という仕事で美容ページの担当をすることになり驚きの連続だった。

 

世の中にはこんなに多くのブランドがあり、それぞれのポリシーがあり、英知を結集したテクノロジーがあり、さらに日々進化しているということをその時初めて知った。

 

化粧品ブランドの発表会は、さながら生物と化学の講義。女性誌の美容の担当者で、肌の断面図がそらで書けない人はいないだろう。

 

しばらく前まで、女性の間で美容を「武士道」などと同じような「道(どう)」として表現することが流行した。私もその流れに乗って楽しんできたわけなのだけれど、最近、ちょっと違和感を感じてきた。

 

自分が年を重ねたからなのか、向上心がなくなってしまったのかと思っていたのだけれど、ハッと思い出したことがある。

 

守破離という言葉がある。「道」にまつわる言葉で、まずは型を守るところから始め、よりよい自分の型を作ることでその型を破り、最後に型から離れて自在になる、ということである。

 

離れるには、自分自身と型をよく理解していなければならない。私は美容という道について、今ようやく「離」の段階にきたのかもしれない。

 

ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと月に1回更新している音声コンテンツ「Beautiful 40's」では、彼女の美容革命についても伺ったけれど、まさにそれも「離」。彼女と私では「離」のあとのアプローチがまったく違っているというのもおもしろかった。

 

「道」やら「守破離」やら、なんだか窮屈じゃないか、と思うかたもいるだろうけれど、それも含めて実は女性は娯楽として楽しんでいるのである。

 

人生という大いなるフィールドで大まじめに真剣に遊ぶ。それが大人の女性の真の美容「道」なんだろうな、と思う。


さて、「離」の段階を経た私が、いまもっとも興味のあるスキンケアについてはサウンドマガジンで語っていますので、よろしければお聞きください。

 

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