EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

フォーカシング・イリュージョン〜そのとらわれから自由になろう。

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もう少し理想の体型であれば、この恋がうまくいきさえすれば、結婚さえすればすべてがうまくいくのに…と、かつて思った経験はないだろうか。

 

もっと若い頃であれば「この学校に合格さえすれば」「この会社に就職できさえすれば」ということだったかもしれない。

 

じゅうぶん大人になった今では「そうじゃなかった」ということに、とっくに気づいている。


でもやはり、「この○○が○○でさえあれば…」と思わずにいられない。そして、そのことばかり考えてとらわれてしまう。

 

こんな気持ちを「フォーカシング・イリュージョン」と名付けたのは、ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマン。2006年に発表された論文で、人は、収入などの特定の価値を得ることが幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向がある、ということを述べている。


なるほど、私だけじゃなくて人の「傾向」なんだ。

 

この言葉を知ったときに、そう思って安心した。ならば、仕方ない、今度はそこから脱却すればいいんだ、と気持ちが切り替えられたから。

 

それから、なにか1つの考えにとらわれて堂々巡りをしそうになったときには「これはフォーカシング・イリュージョンってやつじゃない? 私、過大評価してない?」と自問できるようになった。

 

芸術家の友人は「人は言葉を生み出したから不自由になったんだよ」とよく言っていた。言葉にとらわれるようになってしまったから、と。なるほど、その気持ちもわかる。

 

でも逆に、言葉を知ることで救われるような気持ちになることだってあるんじゃないかな。私はいつもそう反論していた。

たとえば今の季節なら、実は「涼し」という言葉は夏の季語で、俳句の世界では暑い夜に輝く夏の月を「月涼し」と表現する。こういう言葉を知ると、世界が急に美しく見えてきて、蒸し暑い夜だって、なんだかちょっと涼しく感じられたりもする。そういうようなこと。

 

もう会えないその芸術家はなんと答えていたか、もうはっきりとは思い出せないけれど。

 

さて、ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと毎月公開しているサウンドマガジン「Beautiful 40's」も第7回目を迎え、今回はボディラインについて話し合った(夏だものね!)

 

その中で「フォーカシング・イリュージョン」についても話している。とらわれすぎず、冷静に自分を見つめて、慈しんでほしいな、と思うし、自分自身でもそうありたい。

Photo : Miki Ikeda @ Manhattan 2012

 

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ロングヘアのよろこびと憂鬱と。

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幼い頃の写真を見るとほとんどがロングヘアだ。

自分のひどい天然パーマを気にしていていた短髪の母は、娘のさらさらの髪をのばすことを気に入っていたらしい。

案の定、思春期に反発心が起こり、中学生になった頃、私はバッサリと髪を切ってしまった。それ以降、ずっとショートヘアを続けてきた。服装もほとんどパンツスタイルだった。

 

その髪をまたのばし始めたのは社会人になってからしばらく経った頃。服装もフェミニンに変え、パンツスタイルでは決して人前に出なくなった。見た目から自分を変えたかったのだろうと思うけれど、理由はよく覚えていない。

 

果たして、さらさらだったはずの私の髪は太くゴワゴワになって、うねるようになっていた。こんなのじゃなかったはずなのに、と、もくろみは大きく外れてしまった。

それからは苦難の連続だった。あらゆるシャンプーを試し、ヘアサロンでトリートメントをし、時にはストレートパーマをかけ、カットを工夫してもらった。それでも強くて太い私の髪はいうことを聞いてくれない。

ここで告白するのだけれど、一時期ウィッグをかぶっていたこともある。いくつかのヘアスタイルの安い演劇用ウィッグを揃え、気分によって使い分けていた。地髪をまとめてネットをかぶり、何か所かをピンで留めてウィッグをかぶるだけ。慣れるとものの数分でできてしまう。

意外とこれは気づかれなかったし、地髪を気にしないでいいのでものすごく楽だった。けれど、そもそも自分の髪をちゃんとケアしなくてどうする、という罪悪感でいつしかやめてしまった。

女性の外見的な衰えをどこで感じるか、というと、肌などではなく髪、というデータを見たことがある。その取材の中で地肌をケアする必要性を強く訴えるかたに出会った。いやいやそういってもなあ、と思いながら、教わった方法で毎日「頭」をケアしていると、なんだか髪質が変わってきた。

これ、地肌ケアすると髪質も良くなるよ、という単純な話じゃなくて、実は自分をいたわる、ということなんじゃないかと今では思っている。「嫌いな髪、なんとかなれ!」じゃなくて「すこやかな髪になってきてね」という気持ちが伝わった、というのだろうか。

心もそうだけど、自分を自分で愛し、認め、受けいれることって必要だ。

雨の時期には相変わらずうねって広がる、量の多い髪だけれど、今ではこの髪が好き、といえるようになったことは、私にとって実はとても大きなできごとなのである。

そんな話も含め、ヘアケアについてブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと語り合ったサウンドマガジンも、ぜひお聴きください。

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いま、ふたたび、口紅の魔法に出会う。

 

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「美樹さんは大人っぽくなる瞬間があるの?」と真顔で尋ねられた。月に2回、ジャズとラテンの歌のレッスンを受けている先生に、だ。


大人の女性の恋心の機微を歌わなくてはならないシーンで、どうしても私は「ハキハキ、元気よく」歌っているらしい。もっと女優になったつもりで、と言われたが、どうがんばってもハキハキ、元気よく、せつない恋心を歌ってしまう。

 

「まあ、性格なんでしょうから仕方ないわね」と苦笑された。

 

小さいころは、ハキハキ、元気よくしていることをよしとされていた。そのために私はきっとがんばってきたんだろう。生来の性格もあったと思う。そしてきっとほめられたりして、得意になったりもしたんだろう。

大人になれば自然にアンニュイになったりセクシーになったりゴージャスになったりして、勝手に大人の女性になるものだと思っていた。けれど、結論からいうと、セクシーにもゴージャスにもなれなかった。

そういう自分を、少し恥ずかしく思ってもいた。

 

つい先日、お互い駆け出しの頃によく仕事をしていたスタイリストに会った。さまざまな仕事をする売れっ子になっている。決して派手な服を着ているわけでも目立つ小物を身につけているわけでもないのに、センスのよさに控えめな品格が加わり、なんだか見事に素敵な大人の女性になっていた。

 

あの頃はお互い未熟だったよね、と笑い合ったあと、彼女が「これ、あげようと思って持ってきたの」と、華奢なミニバッグから金色に光る箱を取り出した。開けてみて、というので見てみたところ、一本の口紅が出てきた。

 

「これ、見た瞬間にあげようと思ったの。そして、今、あなたにきっと必要なものだという予感がする」

そう言っていたずらっぽく私を見つめた。

 

美しいケースに収まった口紅。赤でもピンクでもないコーラルという色が、私の気持ちを一瞬でときめかせた。

子どものころにこっそりと母親の鏡台に向かって、メイクをしたことを思い出した。きれいになった自分にうっとりして、メイク道具がほしくてほしくて、赤いクレヨンにこっそりとLIPSTICKと書いて筆箱にしのばせたことも。

 

「私は口紅を持ち歩いている」という気持ちが子ども心を華やかにして、誰も知らない秘密なのだということにドキドキしていた。

メイクポーチに口紅を入れて歩かなくなったのは、いつからだろう。私は長い間、何を忘れてしまっていたのだろう。

 

女友達からもらったコーラルの"LIPSTICK"は、これから私に何を教えてくれるだろう。いま、私の鏡台で静かに出番を待っている。

 

少女時代に母親の目を盗んでメイクをしていたこと、そしていま。40代の女性のメイクについて、ブランド・マネージャーの守山菜穂子さんと語り合ったサウンドマガジンも、ぜひお聞きください。

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 Photo : Miki Ikeda via Instagram

美容「道」は大人の女性の娯楽である。

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大学を卒業するまで美容にまったく関心がなかった私は、女性誌の編集者という仕事で美容ページの担当をすることになり驚きの連続だった。

 

世の中にはこんなに多くのブランドがあり、それぞれのポリシーがあり、英知を結集したテクノロジーがあり、さらに日々進化しているということをその時初めて知った。

 

化粧品ブランドの発表会は、さながら生物と化学の講義。女性誌の美容の担当者で、肌の断面図がそらで書けない人はいないだろう。

 

しばらく前まで、女性の間で美容を「武士道」などと同じような「道(どう)」として表現することが流行した。私もその流れに乗って楽しんできたわけなのだけれど、最近、ちょっと違和感を感じてきた。

 

自分が年を重ねたからなのか、向上心がなくなってしまったのかと思っていたのだけれど、ハッと思い出したことがある。

 

守破離という言葉がある。「道」にまつわる言葉で、まずは型を守るところから始め、よりよい自分の型を作ることでその型を破り、最後に型から離れて自在になる、ということである。

 

離れるには、自分自身と型をよく理解していなければならない。私は美容という道について、今ようやく「離」の段階にきたのかもしれない。

 

ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんと月に1回更新している音声コンテンツ「Beautiful 40's」では、彼女の美容革命についても伺ったけれど、まさにそれも「離」。彼女と私では「離」のあとのアプローチがまったく違っているというのもおもしろかった。

 

「道」やら「守破離」やら、なんだか窮屈じゃないか、と思うかたもいるだろうけれど、それも含めて実は女性は娯楽として楽しんでいるのである。

 

人生という大いなるフィールドで大まじめに真剣に遊ぶ。それが大人の女性の真の美容「道」なんだろうな、と思う。


さて、「離」の段階を経た私が、いまもっとも興味のあるスキンケアについてはサウンドマガジンで語っていますので、よろしければお聞きください。

 

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人には大きな悲しみから立ち上がり、成長する力がある。

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平成28年熊本地震の最中にこの記事を書いています。

 

私は熊本市の出身です。両親や親戚、多くの友人が住む町や、何度も行ったことのある場所の刻々と変わる被害の状況、度重なる余震のことを報道で見て、メッセージで励ます以外何もできない自分にはがゆい思いをしています。

 

そこで、自分にできることは何かと考えた結果、私がかつて出合ってつねに胸に置いているひとつの考え方をここに書き留めてみようと思います。

 

PTGという言葉をご存じでしょうか。これはPost-traumatic Growthのことで、日本語では「心的外傷後成長」と訳されることが多いようですが、まだほとんど知られていない考え方かもしれません。

報道などでもよく聞くようになったPTSDはPost-traumatic stress disorderのことで「心的外傷後ストレス障害」。この反対の概念がPTGです。

 

PTG=心的外傷後成長は、災害、事故、病気、親しい人との死別など、大きなストレスとなる出来事のあとに人は精神的な成長を遂げることができる、という考え方をいいます。

 

つらい出来事のあと、人は元に戻ることができるだけでなく、肯定的に変化することができるというのです。

 

たとえば、他者への共感が増す、強さや自信が増す、生きていることや周囲への感謝の念が増す、ライフスタイルや仕事の優先順位が変わる、死生観が変わる、などの変化があるといいます。

でも、実際に不安や悲しみや苦しみの最中にあるときにこう言われても、すぐには信じがたいでしょう。それではどうすればいいのか。

 

ポジティブ心理学を専門とする米・ポートランド州立大学講師のロバート・ビスワス=ディーナー博士は、次のように言っています。

「どうしようもなくつらいときは、それをまず感じてみるのです。無理して気持ちを鼓舞することはありません。まずは逆境に耐え、受けいれ、受け止めてみましょう」

 

結論を急がないこと、とも博士は言います。

 

「心が変化するには、新しい考え方になじまなくてはならないため、時間がかかります。ある程度時間がたって、自分に起きたことを客観的に見られるようになってから、新たな見方でものごとを理解し、前向きな経験を引き出せるようになるのです」

参考:『「幸せ」について知っておきたい5つのこと』(KADOKAWA)

 

「『悲しみ』という感情には、一時撤退して状況を把握し、再起をはかるチャンスをもたらすという機能がある」とディーナー博士。

 

悲しいこと、つらいことはもう起きてしまいました。今はまずそのつらさや悲しみを受けいれる。そしてゆっくりと少しずつ、手元にある幸せを確認し、思いやりや感謝の気持ちを見いだしていく。そうすれば、人は、逆境から立ち直るだけではなくて、起き上がり、さらに跳ね上がり、成長することができるのです。

かつて、あなたがそうしてきたように。そして、今回もあなたがそうできるように。

 

この稿が、熊本地震で直接被害に遭われたかたや、支援しているかた、また、遠方で見守っているかたの一助になりますように。

※これまでの取材や各種研究論文、書籍なども参考にしました。

Photo : Miki Ikeda via Instagram

 

美しく生きた人々に会いに行く〜「Modern Beauty〜フランスの絵画と化粧道具、ファッションにみる美の近代」展。

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今日は箱根・仙石原のポーラ美術館で2016年3月19日より始まっている「Modern Beauty〜フランスの絵画と化粧道具、ファッションにみる美の近代」展のプレスツアーへ。

渋谷から車に揺られること約2時間。実は、ポーラ美術館に行くのはこれが初めて。御殿場インターチェンジを降りてくねくねと上ると、ちょっと遠くまで来た、という感じがする。ドアを開けると、都心とは明らかに違う清らかな空気がさあっと気持ちよく頬を撫でてくれる。

どこに美術館があるの? と思って進むと、窪地に沿うような建築物が、自然に溶け込むようにそこにあることに気がつく。

 

展示は19〜20世紀の絵画を中心にファッション雑誌や装身具、化粧道具、ドレスなどを揃え、女性たちのファッションや化粧が画家たちによってどのように描かれたのかを見ながら、その背景や意味について考えるという構成になっている。

 

19世紀といえば、産業革命による技術の発展、百貨店の登場による流通の拡大、メディアの広がりによる情報の流通などにより、フランスのファッションが大きく変わっていった時代。

 

それにしても、そもそもファッションが近代絵画の重要な主題になっている、ということを初めて知った。

 

「19世紀以降の画家たちに影響を与えた美術批評家で詩人のボードレールが、移ろいやすいもののなかにある近代性(モデルニテ)を描くことを称揚したことで、都市風俗は新たな絵画の主題になったのです」とギャラリートークをしてくださった学芸課長の岩崎余帆子さん。

 

なかでも、流行を写し出す女性たちのファッションはかっこうの主題になったのだそう。なるほど! 

 

展示のすべてはとても紹介しきれないのだけれど、まずは19世紀の上流階級の貴婦人たちの話題から。彼女たちのファッションは時間によって決まっており、午前中はモーニング・ドレス、ランチを過ぎたらアフタヌーン・ドレス、夕方のティータイムにはティー・ガウン、夕食の時はイブニング・ドレスと、1日に何度も着替えたんだとか。

また、乗馬やテニスの時は専用の衣装、散歩の時も散歩用のドレスがあり、彼女たちはファッションリーダーだったというのにも納得。

 

それが転換するのは、19世紀半ば頃に産まれたファッション雑誌。それによって流行が広く伝わるようになり、19世紀末にはロンドンやウィーンなどヨーロッパ各地に、パリのファッション情報が1〜2日で伝わるほどになった。

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なかでも私が心惹かれたのは、雑誌に入れられていたという「ファッション・プレート(グラヴュール・ド・モード)」。流行のドレスや髪型、装身具などをイラストレーターが描いた版画のことで、熟練した職人が手で彩色していたという。

 

当時のおしゃれな女性たちが、ファッション・プレートを見て最新の流行に胸をときめかせていたのかと思うと、なんだかその女性たちと一緒にワクワクしているような錯覚さえしてしまう。

 

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また、これまで何度も目にしてきたルノワールの「レースの帽子の少女」(1891年)と「髪かざり」(1888年)。この2枚の絵画に出てくる女性、よく見ると、同じドレスを着ているような…?

 

「そうなんです。仕立屋の息子としてファッションに触れながら育ったルノワールは、自身が持つドレスをモデルに着せて描いていたのではないかといわれています」と、岩崎さん。画家がモデルに自分の手持ちの服を着せて描いているなんて、考えたこともなかったし知らなかった…!

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 同じく印象派のマネは、描く女性の服や帽子を、洋装店や帽子店で自ら選んで着せたことが知られている。今でいうと、スタイリングも手がけていた、というわけ。帽子を選んでいたのは当時有名な「マダム・ヴィロ」の店であったことも伝えられている。

 

今回の展覧会のアイコンともなっているマネの「ベンチにて」(1789)という作品は、カンヴァスにパステルという手法で描かれているのだけれど、「本来なら色乗りが悪く、今ではほとんど使われないこの手法を使ったのは、パウダリーで柔らかく、バラ色に染まった明るい肌を描きたかったからだと思います」と岩崎さん。

その明るくパウダリーで輝くような女性の肌を、今回展覧会の象徴にしたかった…と。

 

確かに、カンヴァスに写し取られたモデルのジャンヌ・ドマルシーの頬は、今にもこちらを向いて微笑みそうなほど美しい(ちなみにジャンヌは高級娼婦であったことが知られている)。

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 20世紀に入ると、女性の社会進出とファッションが深く結びついてゆく。1906年にポール・ポワレが妻のために発明したシンプルなドレスは、女性をコルセットの苦しみから解放。そして1914年には第一次世界大戦が勃発し、女性が働く機会が増えたことでさらにファッションは変化してゆく。

 

「このキスリングの『ファルコネッティ嬢』(1927)では、女性はもうコルセットを身につけていません。そして、膝が見えるほどスカート丈が短い。これは、1920年代に流行したドレスで、足を見せることが絶対になかった女性のファッションの急激な変化をあらわしているんです」(岩崎さん)。

 

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 その時代を描くことは、のちのちこうやって歴史になるんだな。それよりも大きな発見は、ファッションに視点を定めることで、画家や描かれたモデル達が身近な、生きていた「人」だと気がついたこと。

 

箱根に出かけて森を散歩して空気を吸って、美術を鑑賞して思いにふけって。とても豊かな1日が過ごせた。以前、「美術館はオトナの女の魅力をアップさせるセラピールーム」というコラムを書いたことを今さらながらに思い出した。

 

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今回は触れなかったけれど、展覧会ではほかに、文化学園服飾博物館とのコラボレーションで実現した、絵画に描かれたファッションを実際のドレスに仕立てた作品や、この時代の化粧道具コレクション、扇、ジュエリー、香水瓶などさまざまな展示がおこなわれているので、視点を変えればまだまだいろんな発見ができそう。


展覧会は9月4日まで。20分で森の中を散歩できる「森の遊歩道」も、緑あふれる時期はますます美しい景色が楽しめそう。館内のレストランでは今回の展覧会に合わせた特別メニューもいただけるので、また時期を変えて「素敵な人々=画家とモデルたち、その時代の女性たち」に会いに行ってみようと思っている。

 

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www.polamuseum.or.jp

 
※写真は取材のため特別に許可をいただいて撮影しています。

「スタイルのある大人の女」という思い込みと勘違い。

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「スタイル」という、便利な言葉がある。

 

自分のスタイル、大人のスタイル。男のスタイル、なんて表現もする。40代の女性でいうと、「大人の女のスタイル」というところだろうか。

 

だいたい、「自分のスタイルのある人はカッコいい」という文脈で使うことが多い。

 

だが、このスタイルという言葉、実はちょっとやっかいだな、と最近、思っている。それは言いかたを変えれば「思い込み」なんじゃないかと気づいてしまったのだ。

 

この色が私には似合っている。

この形と丈のスカートがきれいに見える。

こんなふるまいをするのが私らしい。

こんな態度でいるのが私をより素敵に見せてくれる。

 

…みんな、もし、ただの思い込みで、勘違いだったら?

 

大人になれば、あらゆることに、自分の型ができてくる。しかも、誰かに指摘してもらうこともなければ、客観視する能力にも欠けてくる。その「スタイル」に従っていれば、何も考えずに済むのだからラクだから、改めて考えることもない。

 

「だって、それが私のスタイルだから」。

 

スタイルとカッコよく言って、自分がまだまだ変化させられる可能性のあるところを、ラクして流してはいないかな、と思うようになったのは、ブランド・コンサルタントの守山菜穂子さんとやっているサウンド・マガジン「Beautiful 40's」の第3回目で、40代のファッションの具体例について話し合ったからだ。

 

彼女は、「私はショップに行ってとことん試着するんです。まだ試したことのない新しいアイテムがあれば、気軽に試着してみればいいと思う。意外と、似合うものが見つかるかもしれないですよ」と言った。

ああ、そういえば、私は、ガウチョパンツやロングカーディガンなんて、背の低い私には絶対に似合わないと決めつけて、試着などしてみようとも思わなかった。もしかしたら、ファッションだけでなく、ほかにもそういう思い込みで逃してしまっているものがたくさんあるのではないか? と気がついたのだ。

 

「スタイルのある大人の女」とは、もしかしたら、頑固で融通の利かない女、と同義なのかもしれない。それよりも、変わっていくことを怖れない、柔軟な大人の女でいたい、と思う。

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 Cover photo : Miki Ikeda