EDIT THE WORLD

カメラを持って東京と日本各地と世界を行くエディターのフォトログ

イタリア・カタニアからカステルモーラへ〜ピースボート乗船記

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カステルモーラから見たエトナ山とイオニア海

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月23日(水)、日の出05:44、日の入20:08 イタリア・カタニア

07:00、目覚めたらもうイタリア・シチリアのカタニアへ入港するところだった。イタリアへは取材で来たこともあるし昨年はミラノサローネにも行ったので、これまでの寄港地に比べると少し心親しい気分がする。ただ、シチリアは初めてだ。

寄港地カタニアの港から駅へ向かい、長距離バスのバス停を見つけるのに少し苦戦した(場所がわかりにくい!)。タオルミーナまでの往復チケットは8.3ユーロ(片道だと4.9ユーロ)。バスに揺られること1時間。高台のリゾート地タオルミーナに到着する。お目当ては、そこからさらにバスを乗り換え、細い道をくねくねと登ること15分のカステルモーラという集落だ。バスは往復3ユーロ。

もちろんひとり行動である。

カステルモーラは、人口約1100人の小さなコムーネ(基礎自治体)。標高529mの高台に広がる。シチリアの土着民族シクリ人が、ギリシャ人の植民都市であるシラクーサの攻撃から身を守るために城壁を強固にしたのが街の起源である。その後、他のシチリアの地区と同じように、アラブ、ノルマン、アラゴン家など、支配者が次々に変わる歴史をたどった。

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カステルモーラの街並み

街の中心地はドゥォーモである。小さな小さなドゥォーモ広場に近いバーに入ってみると、男根がテーマのようで、いたるところにモチーフが使われていた。まずは喉を潤すためにビールを飲む。男根に囲まれてなんとも居心地が悪い(笑)

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Bar Turrisiにあった男根オブジェ

中世の街並みを今に残した街は迷路のようだ。あてもなく歩いてみる。規模は小さく、30分もあれば回れてしまうだろう。特筆すべきはその景観だ。イオニア海とエトナ山が実に美しい。時折、理屈もなく心奪われる景色があるが、ここもそのひとつだった。

しばらく景色を眺めていたくて、ドゥォーモ広場に面したトラットリアに入り、エトナ山を見ながらランチにする。白ワインとパスタ。パスタはピスタチオとスモークベーコンのクリームパスタである。こんな観光地の店でも美味なところがさすがイタリアというところだ。時折、大聖堂の鐘の音が聞こえる。

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カステルモーラで食べたパスタ

エトナ山はヨーロッパ最大の活火山で、地中海でもっとも高い山でもある。2014年の測定では3,329mだったというが、活発な火山であるため標高の変化が早い。世界でもっとも活動的な火山のひとつでもあり、世界遺産でもある。

この高く大きな火山が頂に雲をかぶせて悠々とそびえる様を眺めながらの食事は本当に素晴らしい時間だった。あるいは、そう感じるのもひとりで行動しているせいなのかもしれない。なにしろ、ここには1人の日本人も、ピースボートの客もいない。船ではどこへ行ってもひとりにはなれない。相当、ストレスを感じているのが自分でもわかっている。

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カステルモーラのドゥォーモ広場

13:10のバスに乗るべく街の入口サン・アントニオ広場で他の国の観光客たちとバスを待つが、待てど暮らせど来ない。と、眼下のくねくねした道を、バスが降りていくのが見えた。なぜだ? ひとりの観光客がツーリストインフォメーションに聞きに行ってくれた。そうすると、なんと、ひとつ前のバス停で折り返して行ったというではないか。なんなのだ。しかし、イライラしてはいけない。なぜなら、ここはイタリアだから。

1時間後にタオルミーナに戻り、ウンベルト通りを歩いてみる。中心地である4月9日広場で、カステルモーラでも出会ったご夫婦にまた会った。もうこれは偶然ではないわね、私たちは友達以上よ、というご夫妻は、アメリカのモンタナ州から来ているとのことだった。

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タオルミーナから見たイオニア海

広場に面したカフェでアペロール・ソーダを頼む。道行く人々を眺めながらゆったりと過ごすのが好きなのだ。甘いカクテルを飲み干したら、バスターミナルまで戻ってカタニア行きのバスに乗った(時刻表を把握していなかったおかげで1時間近く待ったけど)。

20:40、船は次の寄港地に向けて出発した。明日はマルタだ。

寄港地では1人に限る〜ピースボート乗船記

 

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イオニア海

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月22日(火)、日の出05:20、日の入19:53 36°44′N 019°45′E 23℃ イオニア海

朝から荒天。時折、波がドスンドスンと船体にぶつかる衝撃がある。外のデッキに出ることができないせいか、毎日、午前中に作業している公共スペースの空き椅子がない。仕方なく部屋に戻って記録をつけていると、変わらず同室者の体調が悪いようだ。昨夜もずっと咳をしていた。今日は医務室に行くというので少しほっとする(彼女の体調が悪いのも心配だが、私に病気が移らないかも心配なのだ)。

記録をつけ終わって昼食。このところ、ボリュームと油ものと炭水化物を控えめにしているので身体的な調子はいい。ただ、ベッドの上で膝に乗せて書き物をすることが多いせいか、首と肩に縮こまったような鈍い痛みがある。

昨日5月21日は国連が定める「対話と発展のための文化多様性の日」だったそうだ。そのため、船内ではさまざまな多様性についてのイベントが行われている。多様な言語、世界のダンスなど興味のあるものはあったが、昨日までの疲れが出たのか、午後から急に眠くなり、出席はしないことにする。

100分2100円の衛星インターネットカードを使い、道を外れた亀のように遅い回線を繋いで手早く日本のニュースを繋ぐ。回線を切ってそれらを見ていても、何か遠い世界の出来事のように感じてリアリティがない。

いつの間にか眠っていた。

今回、出発までにまったく時間がなかったせいもあるが、もともと寄港地には特に興味も期待もなかったため何も調べてきていない(興味があったのは104日間、日本を離れて船旅をするという体験そのもの)。どの寄港地に着岸するのかもあまり把握していないし、ガイドブックを読んだり持参したりもしていない。そのことに船内で幾人かの人に驚かれた。

もともと、旅先で何をするかを決めて出かけるタイプではない。行かなくてはわからないこともあるし、手に入らない情報もある。行った時に初めて翌日何をするかを決めることにしているのだが、今回もその方針なのだ。

日が経つにつれて、寄港地では仲の良くなった人たちと誘い合わせて自由行動をすることが増えてくる。私も一緒にとたまに誘われるが、やはり複数で行動するとどうしても制限が出るので、1人行動を選ぶことになる。

その時に気になった場所に行きたいし、気に入る場所が見つかったら心ゆくまでゆっくり過ごしたい。写真を撮ることを楽しみにしているので、思うままに足を止めてシャッターを切りたいという思いもある。

寄港は基本的に1日か長くても2日。1日の場合は自由時間が12時間以下のこともあるので、他人の気を遣っている時間はやはり惜しい。

明日はイタリア・シチリアの港町であるカタニアに寄港する。

アテネで革サンダルを作る〜ピースボート乗船記

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MELISSINOSでセミオーダーしたサンダル

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月21日(月)、日の出06:11、日の入20:33 37°56′N 023°38′E 23℃ ギリシャ・ピレウス

ピレウス港を利用するのは客船だけではない。ひっきりなしに出て行く船、入ってくる船。定期船である。ここからクレタ島やミコノス島やロードス島に、人や車をぎっしりと乗せていくのだ。観光という目でしか見ていなかったギリシャが、とたんに人々の生活の息づかいが聞こえる場所に感じられてくる。

09:00、船を出て今日もアテネ市内に向かう。我々が停泊しているここターミナルCからは、まずターミナルAまで巡回バスで約5分。その後ターミナルAから地下鉄ピレウス駅まで徒歩約30分(!)。昨日は早い時間に出かけたのでわからなかったが、今日はさまざまな店がオープンして活気を見せている。カフェ、インテリア店、電気店、鮮魚店。ここにも人々の日々の生活があるのだ。

地下鉄でモナスティラキ駅へ。アテネの地下鉄は3本しかないので、すぐに乗りこなすことができる。この駅に来た理由は、1920年創業のMELISSINOSという革物店に自分のサンダルをセミオーダーしたかったからだ。

ジャクリーヌ・オナシスや近年ではサラ・ジェシカ・パーカーなどのセレブリティも訪れてここでサンダルを作ったという輝かしい歴史をもつ店。しかし見た目は単なる街の革サンダル店というところがいい。10時開店だと聞いていたが、10:05時点でまだシャッターが閉まっていたのでいったん退散。開店時間が違うのか、ギリシャ時間というものがあるのか。

シンタグマ駅に向かい、今日はコロナキ地区を散策することにする。東京でいうと銀座の並木通りといったところだろうか、ブランド店が軒を連ねるが、間にカフェや地元の用品店なども交じる地域だ。

アテネには坂が多い。コロナキ地区の坂をどんどん登っていくと、立派なギリシャ正教会が現れた。そっとのぞかせてもらう。暗い。ひっきりなしに地元の人が訪れては、ろうそくを買って祈りを捧げてゆく。観光客などもちろんひとりもいない。静かにミサ曲の流れる中、だんだん目が慣れてくると、素晴らしい装飾が目に入ってきた。圧倒されて、ここでしばしの静かな時間を過ごす。

教会近くのカフェレストランで昼食にする。グリーク・コールド・カッツとグリーンサラダとチーズコロッケとロゼ。最高の組み合わせだ。ここにもほとんど観光客はいない。ピースボートで寄港すると、どこに行ってもピースボートの乗客がいて正直、辟易してしまうのだが(なにしろ1000人も一度に上陸するのだ)、誰にも会わないこういう場所にいるとほっとする。そういう自分もピースボートの乗客なんだけれど。

モナスティラキ駅へ戻り、また革物店をのぞく。開いていた! いったい本当は何時に開店したのだろうか。客でほぼ満員だが、開いている椅子を見つけて腰かけると、写真の入った冊子を手渡される。ここから好きなタイプのヌメ革のサンダルを選ぶと、足に合うようフィッティングしてくれるのだ。基本の型は28種類あったが、私はAELIAN1というタイプにした。

ヨーロッパサイズでいくつだと聞かれ、とっさに答えられないでいると、ちらりと私の素足を見て店のスタッフがぴったりのサイズを選んでくれた。足に合わせ、ストラップに穴を開け、長さを調整してくれる。その後、革を保護する油脂をすり込んで手渡してくれた。45ユーロ。ヌメ革が、履きこむほどにいい色になっていってくれそうで楽しみだ。

3代目のMELISSINOS氏は自分では手を動かさず、じっと店内に座ってスマートフォンなどいじっていた。もう実作業は後進に任せてアイコンとして存在しているのだろうか。どこからか犬の鳴き声が聞こえてくると思ったら、白いムクムクの犬が椅子の下から現れた。この店のFacebookページには、3代目MELISSINOS氏がこの犬と散歩をしている写真がアップされている。

バスに乗って港まで帰ろうとシンタグマ広場まで戻るが、喉も渇いたのでカフェでMythosというギリシャのビールをドラフトで。からりと乾いた空気。良く晴れており、暑いのだが影に入るとひやりとするほどだ。まさに地中海紀行。気持ちがいい。いつまでもここに座ってのんびりしていられる。

待てども待てども40番のバスは来ない。待ちくたびれた大勢の人々はどのバス停にもひしめいており、結局バスは1時間かかってピレウスに到着した。ターミナルC。オーシャンドリーム号が待っている。

やれやれ、いろいろストレスもあるけれど、結局、今はここがマイホームであることは間違いなさそうだ。

ピレウスからアテネへ〜ピースボート乗船記

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アクロポリスにいた猫

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月20日(月)、日の出06:11、日の入20:32 ピレウス

07:00、目が覚めたときにはギリシャ・ピレウス港に着岸していた。ギリシャ最大の港で、年間2000万人が利用するヨーロッパ最大かつ世界第2位の旅客港である。エーゲ海クルーズの拠点としても知られる。

昨日のギリシャワインが残っており、頭が痛い。船に乗ってからすっかり酒が後を引くようになったが、これが本来の私の自然な体調なのかもしれないと思う。

今回も個人行動。船の着いた「ターミナルC」からシャトルバスに乗り「ターミナルA」へ。その後、約30分かけて地下鉄ピレウス駅まで歩く。24時間有効のチケットを買う。4.5ユーロ(90分有効のチケットは1.4ユーロ)。アクロポリス駅で下車、一路世界遺産「アテナイのアクロポリス」へ。入場料は20ユーロ。

「アクロポリス」とは「高いところ、城市」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれた。つまり、スパルタやコリントスなど各地にアクロポリスがあるわけだが、もっとも有名なのがここ、アテネの「アテナイのアクロポリス」というわけである。

海抜150m、3ヘクタール。その威容はアテネ市内のどこからでも望むことができる。

アクロポリスを成す遺跡群を見ながら丘をゆっくりと登っていき、プロピュライア(神殿の入口の門)まで到達すると、そこには人!人!人!。ピレウス港にも多くの客船が入港していたが、何しろ世界中から観光客が訪れる世界遺産。ツアー客含め、ごった返す人々でプロピュライアはほとんど見えないくらいだった。

人の波が落ち着くまで待ち、門を通り抜けると、そこにパルテノン神殿がそびえていた。美しい。いつまでも眺めていたくて、かなりゆったりと時間を過ごした。こうやって好きに時間が使えるのが個人行動のいいところだとしみじみ思う。

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パルテノン神殿。あいにく曇り空だった。

パルテノン神殿を眺めながらのんびりしていたら、ようやく身体がアテネになじんできた。これまでの経験から、私は違う国に行ったらそこの空気になじむまで2〜3時間かかる。気のせいかもしれないけれど、なじんだら俄然、行動がしやすくなるのだ。カンも冴えてくる。

神殿を降りたら地下鉄でシンタグマへ。そろそろおなかも減ってきたのでお昼を食べたいと思い、Google Mapで「lunch」と検索してみる。すると、目の前にモダン・グリークを謳うカフェレストランがあるという情報があった。

Google Mapを使うようになってから、本当に旅が楽に、そして豊かになったと心から思う。地図は飛躍的に行動への自由を与えてくれたし、レコメンド機能はガイドブックを凌駕した。

入ったERGON HOUSEという店は、素晴らしかった。フレッシュミートや魚、チーズからオリーブオイル、ワイン、乾物までギリシャの「良いもの」を集めたセレクトフードストアに併設されたカフェ&レストラン。フェタチーズとチェリートマトとポピーシードのスパゲッティとホームメイドのパン、そしてグリークコーヒーを選んだ。

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ERGON HOUSEのカフェ部分

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ERGON HOUSEでのランチ

居心地がよくてすっかり長居をしてしまい、ストアの方も丹念に眺めて、悩みつつ吟味しつつオリジナルのオリーブオイルチョコレートを購入。

シンタグマ広場の方に戻り、国会議事堂で衛兵の交代式を眺めた。国会議事堂の正面壁画には、過去の戦争で命を落とした兵士たちのために建てられた「無名戦士の碑」があり、衛兵は1時間ごとに交替しながらこれを守っている。

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国家議事堂前での衛兵の交代式

14時からはMessengerで日本と繋いで慶應SDMの所属ラボの新入生歓迎会に「顔」を出す。皆の顔を見て急に東京が恋しくなる。

広場の近くに、マスティハの商品を扱った店があることを思い出したので寄ってみた。古代より医薬品として利用されてきたギリシャ・ヒオス島でしか採れない「マスティハ」の樹液を使ったさまざまな商品が並ぶ。歯磨き粉とキャンディを買ってみた。

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ERGON HOUSEのチョコレートとマスティハの歯磨き粉

店でたまたま会ったピースボート乗客の日本人のおじさまに、「40番」のバスに乗るとピレウスの港のすぐ目の前まで帰れるよと教えてもらい、バスに乗る。降りる場所がわからないのでGoogle Mapで今どこを走っているかを確かめつつ、このあたりかなと降りてみたら果たしてターミナルCの目の前だった。

ほら、やっぱり冴えている。

サントリーニ島〜ピースボート乗船記

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サントリーニ島・イア

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月19日(日)、日の出06:09、日の入20:21 サントリーニ島

07:00、船はサントリーニ島沖に停泊。サントリーニには客船が泊められる港がないのだ。ここからテンダーボートに乗って島へ渡してもらうことになる。

エーゲ海南部、ギリシャのキクラデス諸島の火山島。紀元前1450年頃の大噴火で火山体が崩壊。この大噴火がクレタ文明に壊滅的大打撃を与えたという歴史をもつ。あるいはアトランティスはこの島ではなかったかという話もあるそうだ。

現在では、白い街並みの美しいロマンティックな観光の島として知られている。日によっては大型客船が何艘も停泊し、大勢の人々が上陸するのだとか。今日は我々のみだった。

08:00、テンダーボートはオールドポートという小さな港に着く。ここから急な崖を登って街の中心部のフィラへ行くのだが、方法は3通りある。徒歩、ケーブルカー、ロバ。迷わずロバを選ぶ。「ドンキーライド」だ。6ユーロ。

よくしつけられた多くのロバが、しっかりとした足取りで崖に作られたジグザグの道を登ってゆく。ロバに乗せられた我々は、数頭ずつの集団を作って登っていくのだが、ロバたちがけっこう先頭争いをする。私の乗ったロバはかなり元気がよくて、時折駆け出しては常に先頭を取ろうとしていた。

優しそうな目をしたロバたち。こんな急峻を1日に何度も往復させられ、かわいそうだなという気持ちも働くが、彼らは粗食・労役に耐えるので荷役として長く家畜とされてきた。何が彼らの幸せなのかはわからない。せめて感謝を伝えようと、首筋をたたいて声をかけてやる。

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私を乗せてくれたロバ

フィラに到着。高級ホテルなどが集まっており、景色がより美しいとされるイア地区までローカルバスで行くことにする。片道1.8ユーロ。車の作りは普通の観光バスのようだ。約30分、いかにも火山地帯という景色を見ながらバスに揺られる。

イアに着くと、我々も含め世界各国からの観光客でごった返している。人をかき分けかき分け、サントリーニ島といえばこの景色、という「青い屋根の教会と白い街並みと海」の撮影できるポイントを探して歩き回る。崖にへばりつくように建てられた白い建物群が本当に美しい。

10:30。撮影を済ませると、たまたまご一緒した女性たちと4人で早めのランチをすることになった。Pelekanosという店に入ると、まさに360度のパノラマ・ビュー。青い空、青い海と白い街並みを眺めながら微風に吹かれて、アシルティコのワインを2本、グリークサラダ、マッシュルームのリゾット、ラムチョップと、バクラヴァというデザートを。我々がけっこう飲んだからか、スタッフからのプレゼントだといってデザートワインを1杯サービスしてくれた。

ゆったりと地中海時間を過ごした良いランチだった。

通りがかりの店で、白いコットンに青い刺しゅうの入ったブラウスと、青地に白の水玉の入ったワンピースを買う。各30ユーロ程度。青いピアスも買ってしまった。28ユーロ。

バスでフィラの街に戻り、ぶらぶらと土産物屋を冷やかしながら歩く。もうひとつ目的があった。「イエロードンキー」というサントリーニ島の地ビールを飲むことだ。軽めで癖のない味。ボトルのデザインがかわいいのでもらってきてしまった。

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イエロードンキー

ケーブルカーでオールドポートへ降り、テンダーボートに乗って船に帰る。船は20時頃出発し、明日にはもうピレウスに入港する。

地中海で時計を1時間進める〜ピースボート乗船記

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地中海

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2019年5月18日(土)、日の出05:56、日の入20:06 33°30′N 029°22′E 22℃ 地中海

昨日エジプト・ポートサイドを出航してから、次回の寄港地であるギリシャのサマータイムに合わせるため、24時に時計を1時間進めた。西へ向かっているので基本的には時計を1時間ずつ戻して時差調整してきていたため、進めることに少し戸惑う。

iPhoneは進めていたが、枕元のBRAUN(もう25年あまり使っている年期もの)を進めるのを忘れていたため、「6時」に目覚めたときに「まだ朝食までに時間があるじゃないか」と思ったが、それは船内時間の「7時」なのであった。おかげで少し寝坊した。まあ、寝坊したって何も困りはしないのだが。

デッキに出てみると、寒い。地中海の風がかなり冷たく吹き付けてくるのだ。これまでTシャツ1枚で暑い暑いと言って過ごしていたのでその服装のままだったが、慌てて上からパーカを羽織ったりボトムスを少し厚手のものに替えたりする。

海は透き通るように深く、青い。風が強いので波もやや高く、船は小刻みに揺れる。

午前中はいつものように8階の公共スペースで記録(このブログのこと)をつけて過ごす。部屋では、明日からのヨーロッパ周遊に対応するためドルをユーロに入れ替えるなどの準備。

午後からは、昨日の疲れで昼寝。ギリシャは初めてだしサントリーニ島の情報も地合わせていないので、同室者にガイドブックを借りて予習をしようとしたが、情報はかなり少ない。ピースボート企画の「わくわく寄港地〜サントリーニ・ピレウス編」という催しに出かけて見るも、細かい情報はないので、あとは行ったところ勝負か。

思えば3年ほど前、日本のワイン業界でギリシャワインが少し流行しセミナーなどにも出席したものだった。ギリシャの気候のおかげでブドウの種類が一般的に知られているワインとはかなり異なっており、なかなか覚えられなかったことを思い出す。サントリーニ島には1日しか停泊しないため時間が限られているが、できればワイナリーに出かけてみたいと思う。

航海図を眺めに行くと、昨日までとは入れ替わって地中海の地図になっていた。船は22時頃、クレタ島沖を通り過ぎていよいよエーゲ海に入っていくらしい。

ナイル川とピラミッド〜ピースボート乗船記

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ピラミッド展望所から見る3大ピラミッド

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月17日(金)、日の出04:53、日の入18:40 31°16′N 032°19′E 25℃ エジプト

朝4:30、レセプションからの放送で目が覚める(少し前にかすかに覚めてはいたんだけど)。今日は多くのお客様がオプションツアーにお出かけになる日です。ツアーの集合に遅れないようお支度ください。外はまだ暗い。

そうなのだ。ここポートサイドからエジプトの首都・カイロまでは車で約3時間ほどの距離。個人行動ではカイロやピラミッドまで行くことが困難なので、多くの客がオプションツアーを申し込んでいるはずだ。基本的には個人行動をする私もしかり。

オプションツアーにはいくつかの種類があり、私が選んでいたのは「ナイル川ファルーカ(帆船)体験とピラミッド見学」というもの。博物館やピラミッドの玄室見学には、今回、行かないことにした。またカイロに来ることもあるだろうし、メジャーな場所はその時にまた行けばいい。旅先ではやりたいことを少し残しておくのが私のやり方だ。

オーシャンドリーム号からのツアーバスは約40台。エジプトではこういったツアーのすべての行程を「ツーリストポリス」が管理しており、要所ではパトロールカーが伴走したり、ポイントポイントでは物々しい警備体制が敷かれている。

ピースボート自体も6-7年ぶりにエジプトに立ち寄るのだという。実際、不安定な情勢は続いている。

3時間のバス移動の最中はトイレ休憩がないので水分を控えるようにというアドバイスがあり、朝からほとんど水分を口にせずじっと我慢する。トイレに行きたくなるよりマシだ。朝食はボックスに入ったジュースのパックとパン2つ。これもジュースを飲まずパンだけ食す。

我々のバスの現地担当者、ミド氏(本名はモハメド氏)は日本語がとても堪能な方だった。エジプト国内で俳優もしており、映画やテレビドラマにも出ている。米国で俳優をしたいという夢をもって、英語、日本語、フランス語の勉強を続けているのだとか。彼はムスリムなので、日中は一切の水も食物も口にしない。

約3時間後、カイロに到着。ポートサイドよりはこぎれいに整備されている印象だが、やはり相当、埃っぽい。そして暑い。カイロは約34℃。昨日は44℃だったので今日はまだマシなほうですよといわれる。

バスはナイル川に到着。さっそくファルーカ(帆船)に乗りこむが、あいにく風がなく、モーターボートで引かれてのセーリング。30分ほどと聞いていたが、そういうわけで、船着き場から船着き場までの移動となり、10分あまりで「体験」は終わってしまった。まあ、こういうハプニングも旅のうちだ。

バスはギザへ。こういうツアーにお約束の土産店に立ち寄る。店内にはもっと雑多なものがあると思っていたが、連れていかれたのが意外にも高級店で、神々やファラオ、ピラミッド、スフィンクスなどを模した飾り物や宝飾品が並んでいる。ミドさんに「無理に買わなくてもいいですよ」と言われていたのだが、黒い猫の姿をした神の像を一体、買うことにした。25ドルと言われるが、どう見ても元値は相当、安い品だ。値切ったが、22ドルにしかしてもらえなかった。

昼食は、3大ピラミッドの見えるレストランでのバイキング。正確にはエジプト料理とは言わないのかもしれないが、なんともエキゾティックな味付けはけっこう私好みだ。

ところで、ピラミッドの写真や映像を見たことのある人は、砂漠にポツンとピラミッドがあるようなイメージをしているかもしれないが、実は人の暮らす街にほど近い。いや、もっというと「めっちゃ近い!」。

そのへんのアパートメントや商店、人やバイクや車やラクダ(!)のひしめく道の向こうに、なんてことないような風でチラチラと見えている。そう聞いていたが、想像するのと実際に見て感じるのとでは大違いだ。

炎天下、いよいよクフ王のピラミッドへ、底辺の一辺が約230m、当初の高さは146m。その稜線は正確に東西南北をさしている。その他、多くの緻密な計算によってこの建造物が成されていることがわかっている。最新の技術によってさらに多くの謎が解き明かされようとしているのは、以前の記事でも書いた通りだ。

遠くからはオモチャのように見えていたが、近づいていくと、大きい。かなり大きい。いや、とても大きい。私が今回、船旅に出るきっかけとなった福澤諭吉も『西洋旅案内』(1867)で「カイロより三里計の処に、ピラミドとて目を驚すほど大なる石塔二あり」と書いている。

観光客が多く(ほとんどは我々の一団だ)、さらに暑く、ピラミッドで沈思黙考するという当初の予定はほんの数分しか達せられなかったが、実際に目で見て、手で触れて、古代のイノベーションについて思いを馳せる。長く過酷な道のりであったろうが、どれだけ心躍る道のりであっただろうかとも思う。

3つのピラミッドを詳細に見て回る時間がないので、ピラミッド展望台へ。3大ピラミッドが一望でき、その向こうには市街地が見える。あまりにも絵的で、なんだか実感が湧かない。せっかくなので、駱駝に乗ってみることにする。古代より「砂漠の船」とも称される、砂漠地の重要な家畜だ。

駱駝はおとなしく四肢を折って待っている、背中に乗って捕まると、まず後ろ脚、そして前脚をのばす。この時、斜めになるので振り落とされそうになるがしっかりと捕まっておくのが肝心だ。

視点がいきなり高くなって驚く。それはそうだ、駱駝の肩の高さは2メートルにも達するのだから。しばらく歩いてみると、古代、駱駝を共にして暮らした人々の心強さが思われた。

スフィンクス前の公共トイレで最後のお手洗いだ、と言われて、ガイドのミドさんから5エジプトポンドを受け取る。エジプトの多くのお手洗いがチップ制である。ここの行列がすごかった(まあ、ほとんどが我々の一団なわけだが)。おかげで、スフィンクスの近くまで行く時間が取れず、遠くからその姿を見ただけで終わってしまった。

3時間かけてポートサイドへ戻り、船の周りのアラブ商人から記念に白いカフタンを買う。言い値10ドルを値切って8ドル。またどこかの寄港地で活躍してくれるだろう。

それにしても、ポートサイドの街には野犬や野良猫が多く、どの犬猫もみすぼらしく汚れ、痩せている。彼らはちゃんとと餌にありつけているのだろうか。それなりに幸せに暮らしているのだろうか。ポートサイドに生まれた彼らの運命を思う。

21:00、船はゆっくりと岸を離れ、地中海に入った。今夜は次の寄港地・ギリシャのサントリーニ島のサマータイムに合わせて、時計を1時間「進める」作業がある。日本との時差は6時間。

スエズ運河からエジプト・ポートサイドへ〜ピースボート乗船記

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スエズ運河を航行する

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月16日(木)、日の出04:55、日の入18:40 スエズ運河

05:45、靄のかかる中、船はゆっくりとスエズ運河に入った。全長193.3km、幅205m、深さ24m。前後の船と1マイル(約1.6km)の距離を保ちながら、7〜9ノット(時速約約15km)で通り抜けてゆく。

今回通行するのは2015年に運行を開始した全長72kmの第2スエズ運河。双方向の運行が可能で、通行できる船舶の数も49/隻から97/隻へと劇的に増加。運河収入も年間53億ドルから123億ドルに増えたとか。

ここを通るなら、スエズ運河の国有化をきっかけとして、1956年10月にイスラエル・英・仏とエジプトの間で勃発した戦争、スエズ戦争のことを思い出さねばなるまい。1956年10月、エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に衝撃を受けたイギリスがフランス、イスラエルに働きかけ、協同で出兵し、エジプトに侵攻した。

日の出と同時に、ふだんは開放されていない7階前方デッキが開くとアナウンスがある。さっそく向かうも、もう既に黒山の人だかり。1時間半あまり立っていたが、結局最前列にはたどり着けなかった。Oh, no。お願いして、写真を数枚だけ撮らせてもらう。こういう場での譲り合いが苦手な一群というのはいるものだ。

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スエズ運河沿いの労働者のモニュメント

通っていくと両岸に砂漠が広がるばかりの味も素っ気もないスエズ運河だが、たまに記念のモニュメントに出会うことがある。スエズ運河は、大半が人力掘削で作られたとの話を聞く。何かを掘る動作の労働者のモニュメントは、その象徴として作られたものなのかもしれない。

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スエズ運河橋

12:30頃、スエズ運河橋、あるいはムバーラク平和橋、あるいはエジプト-日本友好橋の下を通った。スエズ運河を横断する唯一の橋は、日本政府からの支援の下に建設された。施工した3社は日本企業(鹿島、NKK、新日鉄)。2001年10月に開通した。

橋脚の高さがクフ王のピラミッドと同じ140mに設定され、外観はオベリスク(古代エジプトの記念碑)をイメージ。橋の中央に、エジプトと日本の国旗がデザインされている。撮影すべく、汗だくになりながらデッキで粘ってみたところ、両国の国旗は既に砂漠の太陽に照らされてほぼ退色してしまっていた。

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エジプト・ポートサイド

16:00、予定より1時間早くエジプト・ポートサイドに到着。現地の発音でいうとポートサイードという方が近いか。船の上から見るこの地は美しいとは言い難いが、2週間ぶりに着いた陸地にホッとする。

17:30頃から外出し(必ず3名以上で行動するようにとのお達しがあった)、少し街中を歩いてみる。近くにいた一団が、フリーWi-Fiを求めてレストランに入るというのでご一緒する。

何か食べたいね、ということになったのだが、我々の直前で食事のメニューが尽きてしまったと店のスタッフが悲しそうな顔でいう。

「ビコーズ・イッツ・ラマダン」

そうなのだ、今は現地の人にとってはラマダンの真っ最中。でもこのレストランの贖罪が尽きてしまったことはラマダンと関係あるかどうかは私にはわからない。

ペプシコーラを飲んでいたら、日没と同時にアザーンが聞こえてきた。遠くまで来たな、と思う。

スエズのアラブ商人〜ピースボート乗船記

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アラブ商人が乗り込んでくる

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。

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2019年5月15日(水)、日の出04:54、日の入18:35 28°26′N 033°11′E 25℃ 紅海

船は薄い靄の中をゆく。凪のような水面が広がり、穏やかだ。昨日までよりいくぶん涼しい。

右舷側にシナイ半島が広がる。長いこと陸地を見ていなかったので、外の見える場所で見るともなく見ている人が多い。隣の老女と老人の会話が耳に入ってきた。

「ねえ、シナイ半島を右側に行けば『アカバ』だったんでしょ。『アラビアのロレンス』の舞台だったところよねえ」

「そうですねえ」

「ロレンスは『アカバ』からシナイ砂漠を横断してスエズに着いたのよね。カッコよかったわねえ」

「ロレンスは悪者ですよ」

「そんなことないわよ」

といった、とりとめもない会話。その舞台となった地で、ふとこのような会話を耳にすることは心地よい。

毎日12:30頃にその日の航海情報が3か国語でアナウンスされ、その後、航海図が更新される。その場所に行き、群がる人々の質問に答えるクルーからの情報を得るのが楽しみのひとつだ。

今日の情報によると、20時頃にスエズに到着し、投錨するという。スエズ入口には22時までに到着していないと、翌日の通行ができないのだそうだ。今のところ、朝1番か2番には出航できる見込み。航行開始は04:00頃。

夕食をいただいていると(今夜はヒレカツだった! 美味!)、船が小刻みに揺れる。おそらくスエズに到着したのだろう。デッキに出てみると、まさに錨を下ろして停泊したところだった。

と、けたたましい船の音が聞こえてくる。見ていると、波に大きく左右に揺すられるようにして、小さな船が何艘か現れた。「キャプテン・ハッサン号」と書いてある。これが、昼にクルーが言っていたアラブ商人だ。

波をものともせず、アタッシェケースを手にしたアラブ商人は喫水線ギリギリのところにある出入り口からひょいと飛び乗った。その後、いくつかの段ボール箱が出際よく次々と積み込まれてゆく。

聞けば、8Fの公共スペースに店が広げられるのだという。のぞきに行ってみた。絵はがき、革製品、パピルス(当然フェイク)、Tシャツ、ゴージャスなネックレス(MADE IN CHINAとあった)、カフタン。

私はエジプトでカフタンがほしいと思っており、ショッキングピンクのいい感じのものがあったのだが、サイズがXLだったので大きすぎて諦めた。またエジプト国内で探してみよう。

夜は同室者に誘われてサルサナイトへ。彼女は船内カルチャースクールでサルサレッスンにも通っているのだ。私は踊りはしないが、ラテン・ミュージック好きなので音楽を聴きにいくことにする。思いがけず臨時のバーが開いており、ラムコークをいただいた。たっぷりとラムが入っており、いい気分に。

明日は早朝からスエズ運河入りを見物するために、早めにベッドに入った。

洋上大運動会と若者と〜ピースボート乗船記

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洋上大運動会

2019年4月20日から8月1日まで、横浜港を出港し世界一周して戻ってくる「第101回ピースボート」に乗船しています。その日々の記録を残していきます。
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2019年5月14日(火)、日の出04:49、日の入18:091 24°00′N 036°43′E 31℃ 紅海

今日はピースボート名物ともいえる「洋上大運動会」。101回目の今回は「五大陸ピック〜One For All, All For One」というテーマだ。アジアからスエズ運河までの長い航海(今回は2週間)を利用して、若者たちを中心に準備してきた。

私はどの競技にも参加しないことにしているけれど(先日、大学院の友人たちとボルダリングをしたことで3か月間腰痛に悩まされた経験があるので用心のため)、参加人数も点数になるというので応援のために開会式に出かけてきた。

団は誕生月ごとに4つに分けられ、私は緑団。緑のピースボートTシャツこそ買わなかったが、一部が緑色になっている服を着て参加。

数日前から、各団のハチマキを首や腕に巻いて闊歩している人が増えてきていたが、私は準備にも参加しなかったので持っていない。すらりとした長身の男子が「ハチマキは?」というので「持ってない」というと、さっと手渡してくれた。カッコいい。この副団長は、先日、県人会で熊本の部に参加してくれていた男子だった。

開会式の前に集合写真の撮影。各団カウントした人数と、スタッフを含めるとなんと900名あまりがこの「リドデッキ」と呼ばれる中央デッキに集まったことになる。圧巻の眺めだった。お祭りごとが好きなので、この雰囲気にはワクワクする。

午前中の競技は○×ゲーム、玉入れ、大縄跳び、ボール回し。

それにしても、身の危険を感じるほど暑いので、映画を見に出かけることにする。10:30からは『トランボ〜ハリウッドに最も嫌われた男』。『ローマの休日』や『ジョニーは戦場へ行った』などを手がけた脚本家、ダルトン・トランボの半生を描く。東西冷戦時代「赤狩り」により映画界から追放されながらも、偽名で脚本を書き続けた。

縁起をかついで、ランチは「チキンカツカレー」で統一されている。こういった配慮が楽しいピースボートである。

運動会の午後の部、応援合戦を見物する。その後の競技は何人乗れるかな?(畳に乗ったらしい)、障害物競走、綱引き。

部屋で少し休む。なにしろ今日は暑いし、じっとしていても皮膚に汗が浮き出てくるほどだ。Kindleで村上春樹『遠い太鼓』の続きを読む。早く消化しないともうすぐギリシャに到着してしまう。

夕食は中華。久しぶりの麻婆豆腐に舌鼓。

夜も映画に出かける。『ブリッジ・オブ・スカイ』。スピルバーグである。これも東西冷戦下の実話をもとにした映画で、いち弁護士がソ連側のスパイとアメリカ側の偵察機に乗っていた若いパイロットおよび東ドイツに拘束された若い学生の交換を試みるヒューマン・サスペンス。

この映画のけっこう多くの部分が凍てつく(分断された)東西ドイツのシーンなのだが、「ブロードウェイ」という会場がもともと冷房のよく効いた場所なので、より寒く感じる。今日は昼も夜も映画で東西冷戦時代に思いを馳せることとなった。なぜ、人は歴史から多くのものを学べるのに「いま」のことを判断できないのだろう?

さて、今日の運動会が象徴的なのだが、この船に乗っていて、どんなになじんだように見えても「若者」と「中年以降」とは明らかに違うのだということを思い知らされた気がする。さまざまなシーンを見聞きして、さらに自身も経験して思うのだが、中年以降の人間がどんなに若者と仲良くしてもらってもそれはあくまでもこちら側が「お客さん」としての仲の良さであり、若者の親切心なのだ。

もう若くなくなった我が身を嘆いているわけででも自虐しているわけでもなく、「若さ」というものは、特別な、それ自身の意志をもって輝いているものなのだなと感じる。何人たりともその輝きを侵すことはできないし、もちろん入り込むこともできない。なにしろ、それ自体が輝いているものなのだから。

なんてことを考えながら就寝。荷物が重すぎてどうがんばってもCDG(シャルル・ド・ゴール)空港に間に合いそうにないという夢を見る。